【雑誌紹介】 「イエス・キリスト」を伝える努力 『カトリック生活』5月号
連載「〝キリスト者〞と〝思想〞の交差点」で御受難会司祭の来住英俊が「日カトリック教会の停滞について、仮説をもっている」と言う。
《停滞の根源には、「イエス・キリストという方」を伝える努力をあまりしなくなったことがあるのではないか。平和の活動も、援助活動も立派なことである。イエスが喜ばれる仕事である。しかし、日本の社会には、このような活動をしている立派な人たちが多くいる。もちろん、だからといって、カトリック教会はしなくてもいいということはない。言いたいのは、「イエス・キリストという方」を伝える宣教は、キリスト教会がしなければ、ほかにしてくれる人はいないということである》。
《昔は「直接宣教」という言葉があった。ダサいのでもう使う人はないが、案外に宣教という言葉の意味をよく照らし出しているのではないか。今、宣教と呼ばれている活動の多くは、かつて「間接宣教」と呼ばれた活動である。誤解されたくないので繰り返すが、立派な、イエスの跡を踏む活動である。しかし聖パウロなら、これを宣教とは呼ばず、「愛の業」と呼ぶのではないか。……しかし、キリスト信者の魂のより深くにある中核を呼び覚ますのは、直接宣教の活動だと思っている。個々に見れば立派な働きがあるにもかかわらず、そこのところが薄くなっているのが、教会が深い活力をもてない理由ではないか。そういう仮説である》と。
【本体200円+税】
【ドン・ボスコ社】