『若き哲学徒の手記』(講談社、1985年)
約80年ほど前、1941年11日11日、朝日新聞の朝刊に「帰らぬ京大生(気比丸哀話)」という記事が掲載された。弘津正ニ、23歳の最期の姿が世に広く知られた。弘津の指導教官・天野貞祐(1884-1980)は、本書『若き哲学徒の手記』序文にこう寄せている。
「昨年十一月六日の夕刊は『ソ連の機雷に触れ気比丸清津沖で遭難す』という見出の記事をもって私達を驚かした。翌七日私は大学に出てその船客名簿に私の指導する倫理学の専攻生弘津正ニ君の名が出ていることを文学部事務室の人達から聞いてさらに驚かされた。
……論文『カントの実践哲学批判』は彼が船と運命を共にしついに私の手には届かなかったのである。彼はこの論文を抱いて沈みイク気比丸の甲板上に佇み、お隣の左官屋さんから『早くお乗りなさい』といわれても『どうぞお先に』といって煙草の火をつけ悠々と運命を船と共にしたと報ぜられている。彼は平生カントが死に際して発した『これでよろしい』という言葉を好み、何かにつけてEs ist gut(これでよろしい)といっていた」
天野によれば、弘津は一年前に父を亡くし、在郷軍人の兄が応召した実家の母を見かねて休学していたが、戦時下の大学短縮により、予定より早く卒業せねばならなくなった。昼は働き、夜には認めた弘津の卒業論文は、時代の荒波と戦火に喪われてしまった。
本書の編集を担当した四方行正は語る。
「この日記は弘津君の五高在学時代に始まり死に至る直前まで綴られ全部で原稿紙五千枚余枚にも上る……詩や随筆や小説等のものから、哲学の思索、政治、経済、芸術、宗教等に関する考察を含み…キリスト教の感化を早くから受けつつ、後には仏教の教えに深く入って、広大無辺な愛の哲学的基礎をたづね、殆ど一日として休んだことなき反省と思索の結果は、最後に示された驚嘆すべき行為となって現れた」
戦時下日本において才気煥発たる青年の懊悩が記された本書は貴重な日記文学であり、世相を知るための資料である。「宗教と日本」を考える人に薦めたい1冊。