【書評】 『戦争社会学研究3 宗教からみる戦争』 戦争社会学研究研究会 編
戦後は平和教育がなされてきた。それは過ちを二度と繰り返さないために、一人ひとりが主体的、倫理的に考えるための教育であった。だが一方で、戦前と現在とを「戦争と平和」という二分法で考えることだけが、思考のすべてであろうか。
本書は戦争社会学という、一般の読者には聞き慣れない分野を扱う。社会学的に戦争を扱うということだが、そこでは自明視されていた戦前/戦後の二分法が問いに付されている。戦前と戦後とは完全に分断された時代区分なのか。むしろ総力戦の価値観が高度経済成長の原動力となったのではないかと。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナにまつわる論考からは、犠牲者としてだけでなく、ナショナリズムをとおして主体的に戦争に参与する国民の姿が浮き彫りとなる。それはドラマで描かれがちな、国家の犠牲者として一面的に描かれるだけの日本人像をも疑問に付す。一方で、現在の我々が、渦中にあった人々をどう見るのかもまた試されている。
赤江達也氏による次の言葉は、冒頭の違和感に対する応答のようだ。「だが、そうした批判的見方は、戦後という安全地帯からのものではないか」「その後の展開をいったん括弧に入れ、後世の通説的評価を保留しつつ、戦時下での固有の困難と対応とを記述していく。──そのような〈過去に内在する〉歴史記述は〈現在〉の私たちにとっての倫理的課題ともつながってくるはずである」
戦争という記憶が紡がれる、いわば記憶の場とはどのようなものであり、そもそも記憶行為とは何であるのか。また、戦後74年経ち、戦争体験者が激減する今、体験者でない者たちが記憶を「継承」するとは、具体的にはどのような行為や体験を指すのか。私たちが「戦争を想う」という時に自明とし過ぎて取りこぼしていることを、一つひとつ丹念に掘り起こす。
【本体3,000円+税】
【みずき書林】978-4909710093