『宗教弾圧を語る』(岩波書店、1978年)
「宗教と国家」は近代の一大問題だ。なぜならば、両者とも究極的には、人間の生死に対して権威を持つからである。その意味で、国家を「公」とし、宗教を「私」とする試みは、歴史的には失敗した事例が多い。本書もまたその失敗事例を体験者の証言として記録する。
「しかし率直にいって、天皇制ファシズムによる宗教弾圧の代表的事例というには、六氏だけではあまりにも少なすぎよう。法華系新宗教、既成仏教諸宗派、キリスト教諸派等に属する宗教弾圧体験者についても引きつづき発掘していきたい……近代天皇制下の宗教者が負った苦難と栄光を巧まずに物語っている。ここで語られている宗教弾圧は、1930年代なかばから40年代なかばにいたる天皇制ファシズム下の10年間に、あいついで起こった。政府は、思想統制の一環として宗教弾圧を強行して全宗教を威圧し、国策への奉仕と侵略戦争への全面的強力を要求した。
国家神道とあいいれない『異端』性ゆえに弾圧された宗教者のなかには、迫害と懐柔に屈した者もあったが、一般に考えられているよりもはるかに多数の宗教者が、禁圧に抵抗してみずからの信仰を守りぬいた」
「不敬罪」「治安維持法違反」で官憲・特高に逮捕、拷問された宗教団体から6名がタイトルの通り「弾圧を語る」。「大本教」は徳重高嶺、「ひとのみち(現在のPL教団)」を御木徳近、「新興仏教青年同盟」を壬生照順、「ほんみち」を小浦芳雄、また「ホーリホス教会」を山崎鷲夫、李仁夏が「植民地下朝鮮のキリスト教」を担当する。キリスト教界内でも「ホーリネス教会」「植民地下朝鮮のキリスト教」については多くの人が知るところであろう。
大本教の出口王仁三郎が、戦後日本の発展を願い、国家に対する損害賠償を控え、加えて、弾圧を受けたことこそ、侵略に加担しなかった証だったとした有名なエピソードも収録。記憶が薄れていく現在だからこそ読みたい1冊。