【書評】 『加害者家族バッシング 世間学から考える』 佐藤直樹
これまで幾度も繰り返されてきた加害者家族に対するバッシングの構造について、実際に起きた複数の事例をもとに、日本に「近代家族」が定着しなかった理由、犯罪率が低い一方で自殺率が高い日本の社会的課題を分析し、「世間」の閉塞感、息苦しさ、生きづらさを解くための手がかりを探る。
キリスト教を基盤とした欧米との違いに注目した著者は、日本で加害者家族が叩かれる要因を、「西欧には存在しない『世間』があることで、ヨーロッパで生まれた〈近代家族〉が未成熟なままになっているから」とする。魔女狩りなどに象徴されるような中世の習慣が、近代化と共に消えたのに対し、日本では今日まで同様の仕打ちが続く。「世間」の力学が物を言う個人不在の日本では、集団が重んじられ、外れると制裁が加えられる。互いが互いを縛りあい、出る杭は打たれる。
こうした現象の背景に、日本人の「信心深さ」と「呪術性」に基づくケガレの思想があるとした上で、「人に迷惑をかけるな」という「世間のルール」によって、「高度な自己規制」を求められる息苦しさから解放される必要を説く。
著者によれば、コロナ禍における「自粛警察」も、「みんなが同じでなければ」「空気を読め」という「同調圧力」に基づく行動原理だという。この間の、バッシングに端を発した痛ましい事件の数々も、「世間のルール」が「法のルール」を凌駕してしまった末の悲惨な結末と言えるかもしれない。格差と貧困、自死、差別、歴史の改ざんなど、今日のあらゆる問題の病巣を見る思いがする。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(ヨハネ8・7)の聖句を改めて噛みしめる。
【本体1,800円+税】
【現代書館】978-4768458754