【書評】 『世俗の時代』 チャールズ・テイラー 著 千葉 眞、木部尚志、山岡龍一、遠藤知子 訳
「世俗化」という言葉がキリスト教世界で使われる場合、通例、キリスト教の信仰が失われ、科学万能の世の中になってしまったことへの批判的な意味が込められる。また、批判的な意味抜きに、端的に宗教が干渉しない/できない領域を「世俗」と呼ぶ。政教分離において、政治や法は世俗である。
このように「世俗」あるいは「世俗化」と宗教とは通常、対立的な言葉として用いられるのであるが、チャールズ・テイラーは「世俗」あるいは「世俗化」という言葉を、より深く読み込む。すなわち、「世俗」とはカトリック内の諸改革あるいはいわゆる宗教改革(プロテスタント)から生じた、と彼は主張するのである。
アッシジのフランチェスコにその高潮を見る信徒運動は、司祭たちの意識も変えていく。また、ラディカルな運動はプロテスタントとしての宗教改革に至る。それぞれの陣営では規律や道徳の再評価が行われ、聖職者によって人々の生活指導が行われる。一方で絶対王政が発展する中、いわゆる公安警察国家が生まれてくる。キリスト教において「物乞い」に施しをすることは徳目であったが、「物乞い」は収監されるようになる。
このような人々の規律化、道徳化は、神の栄光を地上に表すためのものであった。しかしそれは同時に脱魔術化を伴い、人間だけの人間中心の社会形成を強力に推し進めていく。その行き着く先は、手段の目的化である。つまり神は次第に背景に退いていき、人間がいかに個人として自律しつつ生きるかに重きが置かれるようになっていくのである。これが「世俗化」の始まりであるとテイラーは語る。
本書評で上下巻に及ぶ本書の全容を紹介することは不可能だが、我々が「科学的」と呼ばれる世界観の中で信仰を保持するとはいかなることなのか、また、それは聖書の時代や中世の信仰とはどのように異なっており、どこか通じあっているのかを知る上での重要な学びを得られるだろう。
【本体8,000円+税】
【名古屋大学出版会】978-4815809881