【雑誌紹介】 優れたキリスト教音楽はホールで 『福音宣教』12月号
連載「聖歌と賛歌――民衆霊性と多様性から」。最終回の「現代の教会における音楽の諸問題について」で、中世教会音楽研究者の杉本ゆりが述べている。
「現代の教会、信徒にも聖歌と賛歌があることは変わらない。しかし、今まで述べてきたことは西洋音楽史のなかでキリスト教信仰が中心を占めていた時代についてである。……現在では、優れた音楽、優れた教会音楽を聞くことができるのは多くは教会の典礼ではなく、コンサートホールである。キリスト教初期の時代、グレゴリオ聖歌というものは聖堂のなかで出会うべきもの、『神の言葉』として典礼のなかで聞くべきものであった。しかし現在では典礼を離れたところで演奏され、CDやYouTubeなどでも気軽に聞かれている。もはや神の言葉としての音の機能は果たしていないという段階になっている」
「旧約聖書中に何度も出てくる『一つの声』ということに注目したい。何百人、何千人いても一人であるかのように一つの声が立ち昇る様子が神殿奏楽の記述に現れている。一つの信仰、共同体の一致の信仰が一つの声に表現される。端的に言えば一つの旋律、単旋律をユニゾンで歌うことが基本である」
「プロテスタントの教会で讃美歌を歌うとき、楽譜が四声体になっているので、他の声部を歌ってハモろうとする信徒の方々がおられる。気持ちは理解できるのだが、声部が複数になればそれは多声の合唱音楽である。合唱にはそれなりの訓練された人の技術、そのための練習が必要である。また、あの四声の楽譜はオルガン伴奏のためであって合唱のためではない。大事なのは合唱のハーモニーを楽しむのではなく一つの旋律に全員が一致し、一つの祈りとしてささげることである。ヨーロッパの教会に行くと信者が手にする賛美歌はみな単旋律だけが記してあり、合唱体にはなっていない」
【本体600円+税】
【オリエンス宗教研究所】