【書評】 『不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学』 森本あんり
「私はあなたの意見に反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉は、フランスの哲学者ヴォルテールのものとされる。自分と異なる意見を尊重し、その権利を侵さないとする姿勢は立派だが、この通りにしようとすればたちまち困難に囲まれる。
島国日本は、昔から主流と異なる宗教や思想に厳しい。真宗やキリシタンに対する迫害から、戦時中の「非国民」扱い、最近ではコロナによって自然発生した「自粛警察」まで枚挙にいとまがない。これほど他者に対して不寛容であった日本が、グローバルな時代を迎え、多様性社会にすんなりと移行できるとは考えにくいのだ。日本だけではない。宗教や人種、民族、ジェンダー、文化の違いを受け入れて共存するために、いま世界はもがいている。他者への「寛容」は喫緊の課題と言っても過言ではないだろう。
著者はこの課題に関し、逆説的に「不寛容」のタイトルで、ピューリタンから始まるアメリカ史をふり返って分析する。なぜなら、アメリカほど異文化と濃く接触し、「寛容」と取り組まざるを得なかった国がないからだ。
もともとアメリカはイギリスから脱出してきた急進的なピューリタンが中心となって建設した国である。ピューリタンたちは宗教の自由を求めてやって来たのだが、新大陸では不寛容となった。そこに異議を申し立てたのが、本書で取り上げられているロジャー・ウィリアムズだった。
ウィリアムズはピューリタンではあったが、あらゆる宗教への寛容、先住民との共存を唱え、かつ実践した。その結果、マサチューセッツに確立されつつあった植民地政権から退去を命じられ、教会からも絶縁するよう迫られた。彼はまだイギリス人が入植していない地へと赴き、先住民と交流して土地を買い定住したが、先住民との交流で培われた理解がウィリアムズの思想を涵養した。
さまざまな背景を持った入植者を受け入れることで、ウィリアムズが代表となったプロヴィデンス拓殖地は発展し、1663年にはチャールズ2世から特許状が与えられた。そこに、ウィリアムズの強い願いにより、宗教に関する意見の違いのために迫害されることはないという「良心の自由」が明記されたことは画期的であった。この時、いくつかの村で構成されていた同拓殖地は「ロードアイランド植民地」と改められ、これが現在の州名「ロードアイランド」に引き継がれている。
現在では、ジョン・ロックよりも早く寛容論を説いた人物として、ウィリアムズの再評価が進んでいるが、当時はその先進性ゆえに理解されることは少なかった。ウィリアムズも、晩年のクエーカー論争では不寛容に転じるなど、寛容を完遂したとは言い難い。しかし最後まで、理解できなくとも尊重し、弾圧はしなかった。
どんな人とも「話せば分かる」というのは理想に過ぎず、万人が万人に対して寛容であることは、そもそも不可能だろう。では、寛容と不寛容の線引きはどこでなされるべきなのか。容易な解決策のない難問だが、それでも問い直さなければいけない時に来ている。
【本体1,600円+税】
【新潮社】978-4106038600