【雑誌紹介】 的外れの早矢、乙矢 『カトリック生活』3月号
特集「東日本大震災10年」。「的外れの早矢、乙矢」(山浦玄嗣)、「震災十年と日本社会――イエスの姿から何を学ぶか」(大川千寿=神奈川大学法学部准教授)。
連載「〝キリスト者〟と〝思想〟の交差点」で筆者の来住英俊(御受難会司祭)が言う。「進行中の連載を貫く問題意識は、『日本のカトリック教会の衰退』である。日本のカトリック教会は静かに衰退過程に入っていると考えている。組織の衰退(decline)とは、長い年月を経て少しずつ進行する病である。目に見える現象としては信者数・年齢分布・資金力という統計的数字に表れているが、根源的に言えば、教会が良きものを生み出す力(fecundity)をしだいに失うということである」。
「そこでまず、日本の近代史を考えてみる。……一九四一年の時点で、アメリカに宣戦布告することは、今から考えれば無茶な選択である。東条英機のような当時の意思決定者でさえ、心のどこかではそう感じていただろう。しかし、一九四一年の時点だけを切り取って、当局者の愚かさを非難しても、あまり意味はない。一九四一年において、『今となっては、こうするしかない』と感じてしまったのは、長い衰退過程の帰結である。明治の開国以来、大日本帝国は割合に健全に推移していたが(司馬遼太郎はそれを強調した)、ある時期から、A(情報)、B(理解)、C(判断)、D(選択)が、螺旋=らせん=を描くようにしだいに貧困化していって、最後に、異様なD(選択)をしてしまったのだと思う。そう考えると、責任を負うべき日本人の範囲は大きく広がる。『大日本帝国の軍人官僚たちは邪悪で愚かだった』と非難するだけでは、今後の教訓として生かすことはできない。『私たちキリスト者は臆病で、反対の声を上げることができなかった』という反省も、将来に向けてはあまり役に立たないだろう。一九四一年以前から、根源的態度(transcendental precepts)において、教会も弱かったのだ」
「また、敗戦後かなりの成功を収めたのち、衰退過程に入っていった戦後日本についても同じことが言える。二〇二〇年のオリンピック開催もそうだが、やらないほうがいいことをわざわざやって、みすみす衰退を速めてきた。しかし、それも衰退の螺旋の一コマである」
【本体200円+税】
【ドン・ボスコ社】