【書評】 『仁王の本願』 赤神 諒

 織田信長が日本を席巻する勢いだった戦国の世、血なまぐさい戦場を駆けめぐった僧侶がいた――。名前以外ほとんど知られていない杉浦玄任(げんにん)を主人公に、人気作家 赤神諒が想像力を駆使して加賀の〈百姓の持ちたる国〉の再生から滅亡を描く。

 浄土真宗を信仰する門徒たちが起こした加賀一向一揆は、1488年、加賀の守護だった富樫政親を倒し、浄土真宗門徒を中心とする領国を打ち立てた。この国は守護大名の支配を排除した民主的な政治体制をとり、〈百姓の持ちたる国〉と呼ばれた。しかし次第に内部での抗争が激しくなり、石山合戦で浄土真宗を束ねる顕如が信長に敗れると、瓦解が決定的になる。1580年、北陸最大の拠点であった金沢御堂が攻め落とされ、加賀一向一揆は滅び、門徒たちは殺戮された。

 本作では、浄土真宗門徒が支配した約100年のうち後半が舞台となる。一揆軍最強の鉄砲隊を率いた玄任は、百姓の持ちたる〈民の国〉のために奮闘し、その風貌と人柄から人々に「仁王さま」と慕われる。だが、〈民の国〉はときに愚昧でもある。自らの栄達のために金銭を使って政を捻じ曲げる者、保身のみを図る者、あるいは国を売る者……。腐敗と堕落を防ぎきれず、衆議は歪められ、玄任は悲壮な最期を迎える。ここに民主主義の限界と、それでも他の政治制度よりもましだというメッセージを読み取ることができる。

 また、宗教者が武器を持って戦うことについても考えさせられる。弱肉強食の戦国時代、何かを守るためには戦いが不可避だったが、僧侶が戦に明け暮れることは是か非か。表面的には玄任がしていることは戦国武将と何ら変わらない。だが、目的は決定的に違う。同じ信仰を持つ者たちが作った〈民の国〉のため、彼は最後まで戦い続ける。不殺生戒を破るという最悪の役回りを引き受けて、民を守ろうとする宗教者はどんな報いを天から受けるのだろう。

 作中で、玄任を『大般若経』に記された3千年に一度咲くという優曇華(うどんげ)にたとえているが、悪役の七里頼周までが心を変えていく様子からは、聖書の「一粒の麦」も思い起こされる。

 本作には、著者が以前手掛けた『酔象の流儀 朝倉盛衰記』の主人公 山崎吉家も登場する。玄任が織田信長に対抗するための加越和与(本願寺と朝倉氏の和睦)を成そうとする際に、共に相図って奮闘するのが越前朝倉氏に仕える吉家なのだ。

 「そもそも本願寺の僧侶たちにとって、加賀は一時住まう異郷の地に過ぎず、政も結局は他人事(ひとごと)だった。だが、玄任はわが事のように加賀一向一揆の政に関わろうとしていた。

『加賀も前途多難じゃが、越前のほうはうまく行きそうなのか』

『呉越同舟ではなく、二人三脚を合言葉にと、山崎殿と励まし合うてござる』

 玄任は、朝倉家で外交を預かる山崎吉家と談合を重ねながら、真の加越和与という不可能事に挑んでいた。加賀でも必ず一人ひとりに会って説く」(第二章)

 2人の労が功を奏し、一旦は和睦が成ったものの、すぐに潰える。迫りくる信長の脅威に勝てず、吉家はわずかな兵でぶつかって玉砕する。赤神作品では『大友二階崩れ』など大友宗麟と家臣を中心とした一連の作品が「大友サーガ」と呼ばれるが、玄任と吉家の交差は「北陸サーガ」の誕生を予感させる。いずれも滅びゆく敗者の視点から描いたもので、作家の悲劇へのこだわりがうかがえる。

 歴史小説の特徴は、読者がおおよその結末を知っていることだろう。玄任がどんなにあがいても加賀一向一揆は滅亡すると知っている。わかってはいるけれども、ストーリーの面白さを味わいながら読み進め、最後にどんなカタルシスが用意されているのか期待する。そして読後感と余韻によって作家の力量を判断し、次の作品も読むかを決めたりする。

 特徴のもう一つは、旅情を増させる効果があることだろう。金沢御堂は徹底的に破壊され、その跡に金沢城が建てられた。そこには滅び失せた〈民の国〉の挽歌が音もなく奏でられている。灰燼に帰し、近年整備された広大な一乗谷朝倉氏遺跡にも、柔らかな夕風のように人々の思いが響き渡っている。

 最後のシーンで、若い玄任の息子夫婦は優曇華の話をしながら蠟梅を見上げる。まるで玄任の心のように、微かな光を宿す半透明の小花。蠟梅はうつむき加減に花をつけるので目立たないが、かぐわしい香りで存在を知らせる。歴史のなかにもそうした人がいるのかもしれない。そんな無名の英雄たちに会いに、その土地に生きた人々が残した光の余韻を感じるため、次回作も手に取ることになりそうだ。

【1,980円(本体1,800円+税)】
【KADOKAWA】978-4041113417

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