【書評】 『刀剣画報』「戦国のキリシタンたち」 ホビージャパン
ホビージャパンの刀剣専門雑誌『刀剣画報』が歴史深掘りシリーズ第2弾として「戦国のキリシタンたち」を刊行した。第1章「キリスト教伝来と統治者たち」ではザビエルから信長と宣教師たちとの利害関係、天正遣欧使節の軌跡、秀吉と伴天連追放令をたどる。目次ページに「※掲載した内容や、為政者のキリスト教感(ママ)、禁教に至る経緯などに関する評価は諸説ある中のひとつです」とただし書が付されているが、キリシタンを扱う他の歴史ムックに引けを取らない内容となっている。豊富な図版により直観的な理解が得られる点も初心者にうれしい。
第2章「キリシタン大名と南蛮文化」では大村純忠、大友宗麟、高山右近、黒田官兵衛ら11名を概説。それに続いて、キリシタンを輩出した大名家ゆかりの刀剣を紹介する。
「短刀 銘 国光 国宝(名物会津新藤五)
蒲生氏郷から孫の忠郷まで蒲生家に伝来した短刀で、氏郷が会津を領したことが会津新藤五という銘の由来。その後、加賀藩2代藩主前田利常の手に渡り、元禄15年(1702)には前田家から徳川5代将軍・綱吉に献上された。さらに鞘書の記載によると、宝永4年(1707)綱吉から6代・ 家宣の子である家千代の御七夜(赤ちゃんの誕生を祝う行事)に贈られた。
作刀したのは、鎌倉鍛冶の事実上の祖と位置付けられる新藤五国光。国光は太刀が少なく、作のほとんどが短刀だが、その中でもやや大振りな刃長25.4cm。鍛えは板目に地沸(じにえ)よくつき、地景入る。刃文は中直刃基調で、沸や金筋も目立つ。
ふくやま美術館(小松安弘コレクション)」
第3章「弾圧と島原の乱」では千田嘉博氏が、第4章「禁教下のキリシタンたち」では安高啓明氏が原稿執筆と構成監修を担当。島原の乱に先立ち、「細川ガラシャの生涯」や「家康はなぜキリスト教を禁教にしたのか」を解説し、「元和の大殉教」にも光を当てる。日本史上最大の一揆 島原の乱が起こった背景と経緯、原城をめぐる戦いの推移を鳥瞰しつつ、そこで使われた武器を写真とともに解説している。
「筑紫薙刀
一揆軍には農民だけではなく、浪人となっていた武士も含まれ、軍として組織だって戦ったと言われている。武器も鋤や鍬といった農具だけではなかった。そのひとつが、九州地方を中心に流通した筑紫薙刀と呼ばれるもので、穂先は鉈のような形状をしている。一揆勢はこの薙刀を振り回して、幕府軍に抵抗した。伝承では、日本武尊の子で第14代天皇の仲哀天皇の皇后・神功皇后が所持していたともいわれている。
天草市立天草キリシタン館蔵」
一揆軍だけでなく、島原城下で義海和尚が手にした薙刀や、島原の乱が起こった時代の徳川将軍ゆかりの刀も掲載。一揆側・幕府側双方の武器が戦いの様子を彷彿とさせる。
「義海和尚奮戦の薙刀
寛永14年(1637)10月、 有馬代官所で蜂起した一揆勢は、深江城を経て島原城下になだれ込み、この地を攻囲した。その際、城下にあった善法寺の義海和尚は、薙刀を手に、攻め来る一揆勢の中へと斬り込んだ。島原城にはその薙刀の刀身が伝わっている。乱の後、和尚の奮戦が賞され、善法寺は他寺と別格扱いになったという。
島原城蔵」
「太刀銘 吉包 (古備前吉包)
島原の乱が起こったのは3代・家光の治世下でのこと。家光はオランダ商館を長崎の出島に移転させたり、朱印船貿易を廃止するなど鎖国体制をとり、キリシタンにも苛烈な弾圧を行った。この太刀は、島原の乱の約10年前、二条城行幸の際に、家光が桂宮の若宮へ献上したものだ。鎌倉時代初期に活躍した古備前刀工群の刀工・吉包の作。板目肌と呼ばれる文様がはっきりと現れ、刃文は小乱れを交えた直刃調となっている。
『(重文)太刀 銘吉包_佩表_全身』東京国立博物館」
巻末には「世界遺産と潜伏キリシタンゆかりの地」が7つのエリアに分けて紹介されており、ガイドブックとしても使うことができる。この夏の旅行計画に役立ちそうだ。
【1,980円(本体1,800円+税)】
【ホビージャパン】978-4798627939