【雑誌紹介】 自らの小ささを自覚する 『カトリック生活』7月号

ロシアによるウクライナ侵攻を受けて組まれた特集「世界の現実を前に考えるべきこと」。政治学者の大川千寿(神奈川大学法学部教授)が「平和を実現する人であるために―人と社会をどう見るか」と題して、「想像力」の必要性を説く。
「今回のロシアによるウクライナ侵攻は、専制主義的な体制の限界を露呈し、欧米をはじめとする自由民主主義の価値観を固め直す効果をもったとの評価がある。しかし、内実を見ると民主主義にも分断や格差、政治不信といった課題が根強く存在している」
「これだけ大規模化し、価値観が多様化し、個人化が進んだ社会にあって、民主主義を活性化し平和をよりよく守るためにいま一度取り戻したいのは、特定のイデオロギーでも、国家への過度な忠誠心でもない。それは、人間の想像力である」
「カトリック教会内の改革で大きな役割を果たした聖イグナチオ・デ・ロヨラ(今年列聖四百周年)も、聖フランシスコ・サレジオ(今年帰天四百周年)も、祈りにあたって大切にしたことがある。それは、理性という恵みを受けた人間に備わっている想像力を用いるということであった」
「彼らが見ていたのは玉座に座る王キリストではなく、二千年前のイスラエル社会の現実のただ中で人々を救おうと、人々と共に歩んだイエスの姿であった。そこから想像力を働かせることによって、神の前で自らが小さい存在であること、そして、自らと同じようにまわりの人たちも大切にされなければならないということを悟ることができるのである」
「想像力を正しく働かせることができ、自らの小ささを真に自覚できたとき、私たちは、より包摂的で力に頼らない世界をつくり、平和を実現するための確かで優しい目線と視野を得ることができるのではないだろうか」
連載「〝キリスト者〟と〝思想〟の交差点」では、「ウクライナのために庶民は何ができるか」と題して来住英俊(御受難会司祭)が、「私たちにできることはほとんどないのだ、という諦念が支配的であるように見える」と言う。
「識者やマスコミは……この戦争についてはなるようになるしかない、と考えているように見える。修道院の食卓でもウクライナが話題になることは少ない。話題になったとしても、困ったもんだとクールである。そして、私はそれを必ずしも悪いことばかりとは思わないのである」
「私は、センチメンタリズムの良い点もあるとしても、全体としては害がはるかに大きいと断ずる。……『私はこの数日涙が止まりません』等の誇張された感情の表明をSNSに投稿することによって、そして『いいね』を一定数獲得することによって、何か現実が動いたような錯覚を起こさせるからである。こんな投稿では現実は一ミリも動いていない」
「私たちには他にやるべきことがある……私たちの足下(脚下)にある不和に明晰な目を向けること(照顧)である。家族、職場にある不和を直視することである。……あなたの家族の不和と、ウクライナとロシアの状況はつながっている。確かに遠い。非常に遠い。しかし、実際につながってはいる。遠いと言うならば、あなたがSNSに投稿して(あるいは論文を書いて)戦争の成り行きに影響を与えるほうが、もっと遠い。そもそも、そのつながりは幻想かもしれないのだ」
【220円(本体200円+税)】
【ドン・ボスコ社】