【書評】 『ピリカチカッポ(美しい鳥) 知里幸恵と「アイヌ神謡集」』 石村博子

銀の滴降る降るまわりに
金の滴降る降るまわりに
Shirokanipe ranran pishkan(シロカニペ ランラン ピシカン)
Konkanipe ranran pishkan(コンカニペ ランラン ピシカン)

(知里幸恵 編訳『アイヌ神謡集』)

 今からちょうど100年前、知里幸恵(ちり・ゆきえ)という19歳のアイヌ女性が息を引き取った。幸恵は、母が聖公会の伝道婦だったことから幼児洗礼を授けられ、祖母からユカラ(叙事詩)などアイヌ文化を伝えられた。15歳のとき、同居していた伯母マツのもとに金田一京助が訪れたことをきっかけに交流が始まり、手紙を通じて金田一のアイヌ研究を助けるようになる。18歳で上京し、金田一家に寄宿しながら、亡くなるまでの半年間、文字を持たないアイヌ語の音をローマ字で残し、アイヌ叙事詩を日本語に翻訳した。

 当時、アイヌは野蛮な未開の民族とされ、彼らを教育と同和で進歩させてやらなければならないという考え方が支配的であった。政府はアイヌに日本語の習得・創氏改名を義務化し、女子の入れ墨や男子の耳飾りなどの風習を禁じた。シカやサケ・マス漁も禁止されため、経済的に貧窮し餓死に追い込まれる者もいた。アイヌは蔑視され、幸恵も学校でいじめを受けた。

 そのような状況だったが、金田一は、アイヌに口承文芸が存在することを発見し、それがギリシア叙事詩『イーリアス』や『オデュッセイア』に匹敵すると確信して、貴重な叙事詩ユカラの採取のため幸恵の家を訪問したのだった。アイヌ語は人類の宝だと語る金田一の言葉を聞き終えると、幸恵は涙をためてこう言った。

 「私たちはアイヌのことと言ったら何もかも恥ずかしいことのようにばかり思っていました。今、目が覚めました。これを機会に私も祖先が残してくれたユカラの研究に身を捧げたいと思います」

 アイヌの口承文芸は韻文で語られる物語と散文で語られるものに大別され、韻文の物語は「神のユカラ(カムイユカラ)」(神謡)と「人間のユカラ」(英雄叙事詩)に分けられる。一つを語るのに2~3晩かかるものもあり、ユカラを担うには強靭な記憶力と声量、表現力が必要とされる。さらに幸恵は、優れた知性と才能で言語の構造を客観的に観察して金田一に提言し、それまでのアイヌ語学が修正される転機となった。

 幸恵が寄宿した金田一の借り家は赤門近くの旧森川町にあった。時間ができると幸恵は近所を散策し、日曜には教会に通った。幸恵の日記に出てくるのは、本郷教会と本郷中央会堂、真砂町にあった救世軍本郷小隊で、本郷中央会堂のみ現存している。幸恵の教会通いは熱心で、1日に三つ教会をはしごしたこともあった。東京帝国大学のキャンパス内を金田一の長男春彦(8歳)と一緒に探索し、鬱蒼と木々の茂る三四郎池で故郷の村ヲカチペを思い出したと綴っている。

 上京して約半月経った6月、持病の心臓僧房弁狭窄症が悪化した。そんな折、知り合いのアイヌ女性が和人に売られ、おぞましい死に方をしたという知らせがもたらされ、幸恵の心身に追い打ちをかけた。日記には「むやみと胸が塞がる」「試練」という言葉が繰り返された。近しい人の死は他にも重なり、8月には日記を書かなくなる。迷惑をかけるから近々北海道に帰りたいと金田一に相談すると、それまで辛さを一切表に出すことのなかった幸恵の深刻さに金田一は驚き、急ぎ大病院に連れて行った。

 一時は小康状態を得たが、8月末に激しい胃痛と心臓発作に襲われた。9月14日に投函した両親宛ての手紙には、幸恵の思いが絞り出されている。

 「私は自分のからだの弱いことは誰よりも一番よく知ってゐました。……そして、私にしか出来ないある大きな使命をあたへられてる事を痛切に感じました。それは、愛する同胞が過去幾千年の間に残しつたへた、文芸を書残すことです」

 幸恵は『アイヌ神謡集』の出版の最後の修正のため、机に向かい続けた。そして4日後の夕方「ああ、これで全部済みました」とペンを置く。幸恵の労を金田一家の皆でねぎらい、明日は根津神社のお祭りに行こうと春彦と約束をしたが、その夜、容態が急変しこの世を去った。東京に来てから129日目、1922年9月18日のことだった。金田一は苦しい家計の中から費用を捻出し、雑司ヶ谷墓地に小さな墓を建てて埋葬した。

 絶筆となった『アイヌ神謡集』は1年後に刊行された。一般に広まったのは1978年、岩波文庫から刊行されたことによる。

 この十数年で、アイヌをめぐる状況は大きく変化した。2007年、国連は「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を採択し、日本でもこれに続く08年、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が国会で採択された。その後、有識者懇談会が設置され、14年には白老町ポロト湖畔に国立アイヌ民族博物館の建設が決定した。19年には、法律上初めてアイヌを先住民族として位置づけた「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」が公布・施行された。新法成立の理念として、民族の誇りの尊重と共生社会の実現が掲げられたが、この理念の具現化として創設されたのが、20年、白老にオープンした「ウポポイ(民族共生象徴空間)」である。

 著者は序章で「どうして幸恵は消えなかったのだろう?」と疑問を投げかける。アイヌが追いやられていた境遇と困苦を考えれば、価値を認められ、記念館まで建てられるようになったのは奇跡のようだ。アイヌは普通の人でも先祖の名を6~7代もさかのぼって覚えているのだという。幸恵の背後に存在する大勢のアイヌが彼女を通して発した言葉が、今も人々の心を震わせるのだとしたら、そこに民族共生の鍵があるに違いない。

【1,980円(本体1,800円+税)】
【岩波書店】978-4000245463

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