【書評】 『精選 死海文書』 村岡崇光
名前は誰もが聞いたことあるだろう死海文書(Dead Sea Scrolls)。1946~47年、ベドウィンの羊飼いたちがクムランの洞窟で発見するや、たちまち「世紀の大発見」として世界中に報道された。ヘブライ大学の研究者による収集と、その後の本格的調査(~1958年)により、972点の文書や断片が確認され、現在では写本のほぼすべてがデジタル処理されオンライン公開されている。
写本校訂版の編纂は研究チームDJD(Discoveries in the Judean Desert)によって行われ、1955年から出版開始されたが、しばらく遅延した時期があったため、巷では刊行の遅れを「バチカンの陰謀」とみなす噂が流れ、その邦訳が日本でも話題をさらった。だが実際、校訂版の出版は1990年代以降は順調になされ、すでに2009年に完結。日本語版は、死海文書翻訳委員会による訳書『死海文書』シリーズ(ぷねうま舎、全12巻)が刊行中だ。「死海文書」の知名度と神秘的な響きに惹かれる人は多いが、入門書選びには注意を要する。
本書の著者は、学生時代、関根正雄氏から教えを受け、1964年にヘブライ大学に留学。半世紀以上にわたり海外の大学でヘブライ語と関連セム語の講義をし、同時に旧約聖書学の研究に邁進してきた。2014年、日本聖書協会より聖書事業功労賞を受賞。17年には、長年の学術的貢献が評価され、英国学士院からバーキット賞を贈られたが、これはアジア人としては初の快挙であった。著者による学術論文や研究書の大半が英語で書かれているため、一般の日本人の目に触れることは稀であったが、今回、氏の主たる研究分野の一つである死海文書の中から精選して和訳、注をつけて教文館から出版された。
本書に所収された三つの文書「創世記外典」「ハバクク書注解書」「共同体の規約」は、いずれも1947年以前には知られていなかったもの。「創世記外典」はアラム語、ほか二書はヘブライ語で書かれている。
「私アブラムはエジプトの地に入った夜、夢を見た。夢の中で見ていると、杉が一本、それと非常に〔美しい?〕ナツメヤシが出ていた。何人かの人がやって来て、杉は根こそぎ切り倒し、ナツメヤシはそのまま残しておこうとした。ナツメヤシは声を大にして、『杉を切らないで! 私たちはどちらも同じ根から〔育った?〕んだから』と叫んだ。杉はナツメヤシのおかげでそのままにしておいてもらい、切られなかった。私は夜中に目が覚め、妻のサライに言った。『夢を見たんだ。あの夢のことがまだ怖い』。彼女は言った。『夢のことを話してちょうだい。私には分かるかも』。そこで、あの夢のことを彼女に語り始めた。〔この夢の意味を彼女に?〕伝えた〔……〕『奴らは、僕は殺し、君には手をつけようとしないだろう。〔君が僕のためにして〕くれることができるのはただこれなんだ。〔僕らが〕どこへ〔行っても〕、僕のことを『あの方は私の兄です』と〔言ってくれ?〕。そうすれば、私は君のおかげで助かり、命拾いすることになるから。みんなは君を私から取り去り、私を殺そうとするだろう」。その夜、サライは私の言ったことを聞いて泣いた」(創世記外典 第19欄)
死海文書から発見された聖書テクストには、同じ書物についてのさまざまな異読、異なる版があり、テクストが共存していたことがうかがえる。ヘブライ語聖書の「正典」(canon)が画定する前の段階だったからで、現在のユダヤ教やキリスト教の「正典」の概念を当てはめるのは適切ではない。彼らの「聖書」理解と今日のユダヤ教やキリスト教の「聖書」理解は異なるのだ。また、死海文書の「聖書」理解の特徴は、「聖書の語りなおし」(Rewritten Bible)にある。当時すでに存在していた創世記などのモチーフを使って自由に物語を生み出していたわけだが、「創世記外典」はその代表例といえる。
「ハバクク書注解書」の「注解」は、難解な語句を説明するなどの意味ではない。聖書のいわんとするところが、注解者が置かれている宗教的・精神的状況の中でどう適用できるかを示そうとしている文書だ。
「本文書の場合は、クムラン教団の精神的指導者と目される、『正義の教師』と呼ばれている人物とその一派と、その反対勢力として『偽りの教師』『不正な祭司』などと称される人物との拮抗が絶えず背景にある。この相対立する二人が歴史上のだれであったかを特定する手がかりは本文書の中にも、他の死海写本の中にも一切見当たらない。
現在の祖国は、『キッティム』と呼ばれ、普通ローマ民族と同定される外国勢力に蹂躙されているが、終わりの時には神はこの勢力を敗北させられるから、その時に備えて、『正義の教師』の指導に服するように著者は読者に呼びかける。こういったところから、本文書は紀元前一世紀ごろの著作ではないか、と言われる」
「共同体の規約」は、死海北岸に位置したクムラン教団の成員にとって、内容的に極めて重要な位置を占めていた文書だ。この文書をクムラン教団の「憲法」あるいは「憲章」と呼ぶ研究者もいる。しかし、日本語で読むことができても、広範な知識がなければ内容を正確に理解するのは難しい。たった1行の文章でも、著者による注が付けられていることで読みが深くなる。
「預言者とアロンとイスラエルのメシア(注97)が到来するまでは、共同体の成員が初めに教え諭された最初の規則に則って決定するものとする。……
(注97)『メシア』は、原文では複数形で、アロンのメシアとイスラエルのメシアの二人のメシアのことである。これはクムラン文書における際立った思想である」(共同体の規約 第9欄)
複雑な加入儀礼や二元論的な人間観、生活規則と違反した際の罰則が詳細に述べられた「共同体の規約」を読むと、共同体成員の内なる世界観と外なる暮らしが両方見えてくる。しかし同時に、背景を知らないまま自分の考えに引き寄せて読むと、曲解してしまう恐れがある。加入儀礼の一部にだけ注目して、「クムラン教団はフリーメーソンの先駆だ」と主張する珍説も出されたことがある。
日本では某アニメ作品によって一躍有名になった「死海文書」だが、聖書の源流に迫るものとして強い関心を持っているのはやはりキリスト者だろう。近年、アジアにおける聖書学ならびに関連分野の研究水準の高さが国際的にも評価されるようになってきたが、それは一人ひとりのパイオニアが生涯をかけて取り組んだからだ。その一人である著者の翻訳に接する時、古代の聖書世界の息吹を感じるとともに、これがここに届くまでの長い道のりを思わないではいられない。
【3,080円(本体2,800円+税)】
【教文館】978-4764267527