【書評】 『大村純忠』 外山幹夫

 吉川弘文館が現在も日本史研究の進展に寄与している良書を精選して配本する「読みなおす日本史」シリーズから外山幹夫著『大村純忠』が出版された。本書の原本は1981年、静山社より刊行されて以来読み継がれてきたが、図書館以外では手に取れなくなっていた。本シリーズでの新装刊行にあたり、本馬貞夫氏による「外山幹夫『大村純忠』再読」が付され、その後の研究と論争まで網羅されている。

 のちに日本で最初のキリシタン大名となる大村純忠は、1533(天文2)年、肥前南部に強い勢力を持つ戦国大名 有馬晴純を父として生まれた。長兄は晴純を継ぐこととなる義直(のち義貞)で、純忠は次男にあたり、純忠の下には3人の弟がいた。直員(なおかず)・盛(もり)・諸経の3人で、直員は同名の千々石直員の下に養子に行ったが、後年天正遣欧使節としてローマに赴いた千々石ミゲルは彼の子である。当時としては珍しい同母兄弟で、長じてのちも互いに抗争することがなかったのが幸いだった。

 純忠は大村純前に入嗣することで大村家を相続した。この時代、家督以外の者が他家に養子に行くのは極めて自然なことであったが、大村家の場合は不自然な要素があった。純前には又八郎という男子がいたにもかかわらず、家督につけられることなく後藤家に養子に出され、この後に純忠が養子に迎え入れられたのだった。後藤家を相続した又八郎は貴明(たかあきら)と名乗り、大村家の家臣団を分断し、戦いを仕掛けるなど純忠を悩ませ続ける。こうした不安定な立場の人生で純忠が選び取ったのがキリスト教信仰だった。その信仰も漸進的に深められたのであろうと外山氏は捉える。

 「純忠は、漸次キリシタンとしての性格を深めていったが、これ以前にあっては、既存の神仏崇拝にキリスト教信仰が加えられたありかたであった。つまり二者択一的に神仏を棄てて、キリスト教に『改宗』したものではなく、たんなる『入信』というべきものであった。内外の不安にさらされ、危機意識の強かった純忠としては、こうした一種の多神教の下において、地位の安定をはかろうとしたものであろう。……

 わが国ではすでに平安末、本地垂迹説の下に神仏習合が一般化して以後におよんだ。この伝統の上にいままた戦国期、キリスト教信仰が加わった。それはまことに包容力に富んだ、きわめて特異な、そしてあまりにも日本的なキリスト教のありかたであった。

 このようにみてくると、いわゆるキリシタン大名なる概念も、従来の神仏崇拝から一挙にキリスト教に『改宗』したものではなく、神仏崇拝の歴史の重みを深く背負いつつ、漸次キリシタンとしての純度を高めていったものといわねばならない」(「Ⅵ 教勢の発展と純忠の苦悩 キリシタン大名の実態」)

 37年におよぶ純忠の全治世で、家臣の謀反が発生している。さらに佐賀の龍造寺隆信の存在も純忠の頭痛の種だった。隆信からの重圧に屈して、純忠は自らの3人の息子を人質として出したが、それでも収まらず、純忠は隆信から命じられて城から退去して一時ちっ居するまでとなる。「三城七騎籠」(さんじょうひちきごもり)で求心力を取り戻し、沖田畷の戦いで隆信が敗死したことで、純忠の地位は回復したがその後も領国支配が安定したとは言えなかった。

 純忠による領民の改宗、横瀬浦や長崎の開港、天正遣欧使節派遣などは、こうした内外の不安定な状態に甘んじながら純忠が行った事業だった。体力の衰えた晩年は、ルセナをはじめとする宣教師に囲まれて療養生活を送り、自己の魂の救済のみに専念して過ごした。1587(天正15)年、数え年55歳で逝去。荘厳な葬儀の後、宝性寺という名の教会に葬られたが、その後仏式に改葬された。現在、大村家の菩提寺である本経寺には、なぜか純忠の墓は認められない。

 外山氏は純忠の功績を3点挙げる。

 「第一の点は、他の戦国大名にさきんじて、ザビエル来朝一四年後にいち早く受洗した、ある意味で無謀かつ大胆ともいうべき先端的行動であり、第二の点はその開港地長崎が、のち江戸時代における鎖国下、わが国における唯一の世界に開かれた窓であった点から注目されるのである。そして第三の点は、閉鎖的な当時の日本人のとった行動としては、きわめて稀有の快挙であった。これらは西海の弱小戦国大名という彼のおかれた悲痛な立場とはうってかわり、まことに驚くべき斬新かつ壮大な事績として光彩を放っている」(「Ⅶ 純忠の卒去とその歴史的位置 危険な賭けだったキリスト教受容」)

 実証主義に立つ中世史家である外山氏の研究は、「日本初のキリシタン大名」として偶像視されがちであった純忠の実相を、史料を基に客観的に捉えなおした点で評価される。純忠の評伝は、それまでにも松田毅一氏による『大村純忠伝』があったが、これは大村藩の子孫である大村市長らの依頼で、世界史につながる純忠の功績を顕彰する目的で書かれたものだった。

 本書はそのような純忠像に修正を加えるもので、歴史学の観点からそれまでのキリシタン研究に風穴を開ける画期的な一書であった。外山氏は時に論争を恐れない歴史家としても知られ、純忠の信仰をめぐっては結城了悟神父(日本二十六聖人記念館初代館長)と吉川弘文館『日本歴史』等で互いの意見に反論し合ったことがある。だが、そうした論争の炉に入れられることで、キリシタンに対する見方が精錬され、実証的研究が進展してきた。現在では純忠の先行研究として真っ先に参照される本書だが、キリシタン研究のたどった道としても参照される意義があるといえるだろう。

【2,420円(本体2,200円+税)】
【吉川弘文館】978-4642075138

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