【書評】 『今日拾った言葉たち』 武田砂鉄
ひとつの言葉が、時に世の中を見る視界を大きく広げてくれることがある。本書は、雑誌『暮しの手帖』に掲載された武田砂鉄のエッセイ「今日拾った言葉たち」を大幅に加筆し、まとめ直したもの。2016年から今夏までに発せられたさまざまな言葉を紹介しながら、「その時々」に武田が感じた思いを綴る。
泣いてばかりいないで顔をあげろという者の言葉を信用してはならない。
若松英輔 批評家 自身のツイッターで(3月11日)
毎年3月11日を迎えると、東日本大震災が発生した日のことを振り返りながら、このようにして立ち上がった人たちがいる、といくつもの事例が紹介される。……顔をあげられるようになる時期は外の人間が決めるものではない。その人自身、いつになったらと、絶望の中を泳いでいるかもしれないのだから。(2016年)
我々は、また 命を救う〝風かたか〟になれなかった。
映画『標的の島 風かたか』(3月)
沖縄県うるま市で20歳の女性がウォーキング中に米軍属の男に強姦目的で殺害された。 追悼の県民大会で稲嶺進・名護市長は、2年前にも同様の事件が起きたのに『風かたか=防波堤』になれなかったと涙を流した。……基地がそこにあるということは、真っ先に狙われる場所、つまり、「標的」になるという意味でもある。「私はぶれない」とゲート前に立ち続ける87歳の島袋文子さんの睨みつける目は澄んでいる。かつての戦争を知っている。血の混じった水を飲んだ、その味を覚えている。この防波堤を築くために力を尽くさなければいけない国が、 防波堤を破壊するほうに加担をしている。(2017年)
偏差値の低い大学に通う生き物
姫野カオルコ 作家 著書『彼女は頭が悪いから』(7月)
実際に起きた、東大生による強制わいせつ事件をもとにした小説。特権意識を振りかざし、自分たちより低い『女』を、道具のように扱う男たち。……起きたことが明らかになろうとも、ネットには「どうせ東大生狙いだったくせに」と女性に対する非情な書き込みが消えない。その男は手塩にかけて育てた親や周囲の力で手厚く守られる。その結果、加害者にのみリセットボタンが与えられるのだ。(2018年)
いいか? 本屋というのはな、子どもも若者もたくさんやって来るんだ。そこに来てこんなタイトルの本が平積みされていたら、そこはどんな場所になるのか? そんなことを1ミリたりとも 想像できない大人によって未来が損なわれようとしてるんだ。もう我慢の限界だよ。
日野剛広 書店員 ツイート(8月2日)
政治の世界で関係が悪化していることを受けて、隣国の人々を蔑視する言葉が書籍や雑誌に堂々と躍ってしまっている。問題視された『週刊ポスト』の特集「韓国なんて要らない」には「韓国人の10人に1人は治療が必要」との論旨まで紹介された。雑誌『WiLL』の増刊号が「日韓開戦 韓国よ、ならば全面戦争だ!」とのタイトルで8月に発売予定だと告知されると(最終的には「さようなら、韓国!」)、旧知の書店員がこうツイートしていた。……売れるから作る、売れるから置く、そして買っていく。商売としては好循環なのだろう。でも、その想像力の欠如がどんな状態を作り上げてしまうのか、少しも考えようとしない。(2019年)
「死にたい」は、本当は生きたいのに、それがままならない思いの裏返し。
海老原宏美 自立生活センター・東大和 理事長 朝日新聞(9月7日)
なぜ『死にたい』のかと考えれば、それは生きることがままならないから、ではないか。ならば、『生きる』ためには何が必要かを考えたい。死にたい人が死ねるように、ではなく、生きたいという選択肢を持てない現状から考えなければいけない。(2020年)
よく、「明けない夜はない」というようなことを言う人がいますよね。もちろんそれはその人にとっての真実だと思うのですが、私は「明けなさ」もあると思っていて。
宇佐見りん 作家 『文藝春秋』(3月号)
『推し、燃ゆ』で芥川賞を受賞した作家が、夜の『明けなさ』を語る。流行りのメッセージソシグでは、ひんぱんに『明けない夜はない』とのフレーズがある。……でも、どうだろう、そのため息のような誓いが、結局は自助努力を促すだけのものになってはいないか。この苦境もやがて乗り越えることができるはずと考えるのは大切だが、「耐えられなくても続く現実とはどういうものか」に関心を持つ姿勢があってもいい。(2021年)
私たちはバカにされてるんですか?
和田静香 相撲・音楽ライター 著書『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』(9月)
稼げないのは自分が悪い、俺は稼いだんだ、だからオマエもこうすれば稼げるぞ……。売れ筋のビジネス書やYouTube動画では、その手の主張が目立つ。結果、いつも通りの自己責任論が横行し、どんどん強化されていってしまう。……切実な眼差しを政治家にぶつけると、歪んだ仕組みが明らかになってくる。「私」のせいではないのだ。どうしてこんなことになってしまったのかを答えなければいけない人たちが、口をつぐんでいる。(2021年)
世の中にあふれる言葉に立ち止まり、そこに映る「今」を考える1冊。後から後から押し寄せる「新情報」の波に飲まれて忘れてしまわないためにも、「その時々」の言葉をふり返りたい。
【1,870円(本体1,700円+税)】
【暮しの手帖社】978-4766002270