【書評】 『東京大学「ボーカロイド音楽論」講義』 鮎川ぱて

 東京大学教養学部で立ち見が出るほどの人気を誇る講義「ボーカロイド音楽論」が書籍化された。ボーカロイド(略称:ボカロ)とはサンプリングされた人の声をベースにした歌声合成技術で、その代表は初音ミクやハチ(米津玄師)。ボカロ音楽とは歌声合成技術とソフトウェア「VOCALOID」を使用した楽曲全般を指す。最先端の若者文化であるがゆえに年配世代からは胡散臭く思われたのか、この講義の開講がアナウンスされた際には、「東大も終わったな」などとささやかれた。

 「通念を自明のものとせず、自分の頭で疑ってみること。そして再解釈していくこと。それがぱてゼミのキャッチコピー『感覚を思考の俎上に載せること』のひとつのあり方です」(第1章「ハチ=米津玄師論」)

 ボカロ音楽を題材に批評分析の理論も豊富に解説される。哲学、記号学(論)、時間概念、表象など一見難解に思える術語・概念でも例を挙げて平易に語られると自然に学び取れる。話が分かるからこそ、フーコー、ソシュール、ラカンといった学者たちの偉大さが改めて感じられる。知的好奇心にあふれる大学生が「面白い」と聴講するのも納得だ。

 第3章は「厨二病はなぜ中2で発症するのか」。一般に人間の三大欲求は、食欲、睡眠欲、性欲だとされる。この三つのうち「食欲と睡眠欲」と「性欲」の違いは何か。学生たちは「ひとりで満たせるかどうか」「法律で管理されているかどうか」「他者と関係するかどうか」等と答える。著者は学生の答えに反応しながら講義を進めていく。

 「『三大欲求』は、多くの動物も共通して持っているものであり、それらはどれも、ある意味では野蛮なものです。野蛮なエンジンがあとからひとつ増える。その経験は、『自分たちが所詮動物にすぎないこと』を改めて突きつけてくるものでもあるでしょう。〔……〕

 また、厨二病の意味をさらに広くとるなら、それは『ほかの人とは違って自分だけがなにか特別なものを持つ』という表現です(すでに挙げた例もすべて該当します)。自分が実はサタンの生まれ変わりだったとか。あるいは、いまやすっかり一大ジャンルになりましたが『ふつうの中学生をやっていたのに突然自分だけ異世界に転生する』というのも、自分だけが特別であるという表現です。〔……〕それは性欲の到来以前の『私が私として独立している』という自己イメージを揺さぶる他者でもある。もっと平たく言えば、『お前はふつうだ』と呼びかけてくる他者です。けどその他者は、自分と不可分である。ということは、その『お前はふつうだ』という声は、内側から響いてくる――。

 『そんなはずはない、自分は交換可能なモブのひとりじゃない!』

 『お前はふつうだ』という声に抗って、固有のひとりでありたいと思うのはまったく自然な欲求でしょう。だからこそ、厨二病があるのではないか。さまざまなサブカルチャーコンテンツで提供されている『自分が特別である』というファンタジーは、この欲求に応えているのではないでしょうか」

 ただし著者はこう付け加えるのを忘れない。

 「厨二病表現は、しばしば嘲笑的に語られます。ときに、それを経験した当事者によって事後に『黒歴史』として自嘲的に語られたりもします。とくに、厨二病表現にこれまで興味がなかった人に気をつけてもらいたいんですが、今日のぼくの分析によって、厨二病表現の本質がわかったからもう十分と、ポテンシャルを全部知った気にはならないでくださいね。今日の議論は、厨二病のあくまでひとつの断面を切り出したものにすぎません。

 批評することは、対象を矮小化することではありません。厨二病表現が、ときに悩める切実な誰かを救いうるのだということを、分析を通してお伝えしたのだと受け取ってもらえると嬉しいです。

 現代日本において、厨二病的表現は必要なのだ。これが、批評を通したぼくのメッセージです」(以上、第3章「厨二病はなぜ中2で発症するのか」)

 著者はLGBTQIAPなど2020年代のジェンダー論に深く切り込み、テレビ番組『さんまの東大方程式』(フジテレビ系列で不定期放送)で垂れ流されているような「総量一定説」には強く異議申し立てをする。「総量一定説」は著者の造語だが、例えば上記番組では「勉強がとくにできる人は、代わりになにかが不得意なはずだ」と東大生がなにか不器用なことをする場面ばかり切り取って流し、それに対してタレント勢が「それはおかしい」とコメントしたりしていた。だが、それは非常に差別的で人を傷つけるものだ。

 「最初に話した通り、総量一定説は、善意によって語られることも多い言説です。『あらゆ る人にはなにか得意なものがある』という言説であれば、個人的にもまったく支持できる考え方だし、そういう言い方で誰かを勇気づけるという場面はぼくにもあるかもしれません。

 総量一定説の問題は、ある特徴を、ほかの特徴とトレードオフのように言ってしまうことであり、それがエスカレートして、その特徴同士を因果づけてしまうという非常に人間的な誤解を生じさせかねないことです。そして、マイナーな属性によって疎外感を持っているかもしれない人に、追い討ちをかけるようにさらなる疎外感を与えかねないところです」(第6章「(言語という)かなしみのなみにおぼれる」)

 ボカロ音楽を批評しながら、社会を見据え時代を突く。次世代を担う若者たちがこんな表象文化論を聴いていると思うと、うらやましくも頼もしい。同時に、自身をアップデートしたいという思いにも駆られる1冊だ。

【2,420円(本体2,200円+税)】
【文藝春秋】978-4163913629

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