【書評】 『いのちの言葉を交わすとき 「青年の夕べ」感話集』 飯島信 編

 本書は編者が前任者として牧会した日本基督教団立川教会「青年の夕べ」の記録です。卒業し働き始めたぐらいの方が多い13名の青年による説教や証し、あるいは洗礼を受けていない方も含め、日ごろ感じ考えている「いのちの言葉」を、私のゼミの学生と読みました。

 その誠実な言葉を嬉しく聞きつつ、感話者によりますが全体的に、あまり「教会」が見えない気もしました。それは編者が言うように、青年の「問題意識を受け止め、それに応え得る教会が多くないこと」(3頁)を示しているかもしれません。教会を責めるというより、この「青年の夕べ」のような「パラチャーチ」的あるいはエキュメニカルな協力宣教が、より必要ということでしょう。教会で「キリスト者とはこのような人である」と上から言われるのでなく、信頼できる仲間同士で語り合う時に「キリスト者として歩みたいと願う」(175頁)主体性は培われるのでしょう。

 ゼミの学生が教えてくれて面白いと思ったのは、最初と最後にある編者の説教に表現される従来の教会から、多くの青年が新しく歩みだそうとしていることです。最初の説教では、多くの教会で言われてきたでしょう、「隣人を愛するに先立って神様を愛する」ことが言われます。それに対して「休んで、お洒落してお気に入りのカフェに行って(中略)生きることもなかなかよいものだと思わないと、キリストの復活を本当には喜べないなあ」(50頁)との青年の言葉に、私は「アーメン」と書き込みました。キリスト論を、贖罪論から十字架の神学に強調点を移して考える若い方々が増えているかもしれず、それは意味あることと思います。

 また最後の編者による説教は「他のための存在である時にのみ教会である」とボンヘッファーの教会論が述べられ、私もまったく同意しますが、少しこれも変わっていくかもしれません。社会そして教会から「求められる像」、また自分でも理想と思う像を目指す時に、現実や難しさに気づき、不安に思い、それでも歩みだそうとする13人の姿を見ます。従来のリベラルな「教会」も、ちょっとカッコ良すぎたかもしれません。勇ましい平和集会とかしても、会場でお茶を入れるのは教会の女性たちばかりといった、ライフスタイルを伴わない姿に、私もげんなりしてきました。ヒーローではなくて、素で生きたいのです。

 「少子高齢化で教会の将来はどうなるのか」と言われ久しいですが、本書を読んで、大丈夫、教会には明日があると思いました。私たちが今「教会」と呼んでいるものと異なるものを喜ぶなら、ですが。

(評者・濱野道雄=西南学院大学神学部教授)

【1,540円(本体1,400円+税)】
【ヨベル】9784909871626

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