【書評】 『好きやねん、イエス!』 滝澤武人
「好きやねん、イエス!」――他では類を見ないタイトルの本書はマルコ福音書研究者でもある著者渾身の1冊であり、徹底的にイエスだけを見つめ、彼の生涯がどのように笑いとドラマに満ちていたかをエッセイ風に記す。
著者がマルコ福音書を中心とした理由は、福音書の中で最も執筆時期が早く、より鮮やかにイエスの姿を描いているからとのこと。
本書で特徴的なフレーズは「イエス主義者たれ!」であろう。教会やキリスト者の多くが、さまざまな歴史や文化的背景のフィルターを通して聖書を読み進めてしまうところを、著者は必要以上に他の文献から引用せず、読者を聖書へと集中させる。
その結果、マルコ福音書から見出されるテーマとは「自由で人間主義的な、新しいキリスト教の豊かな可能性」についてであり、絶えずイエスと人間(私たち)のライフストーリーに集中するテキストは伝統や教会という枠組みを超えて、私たちが今をどう生きるかという実存的な示唆と考察を与えるという。
2000年前のイエスは民衆と生きていた。著者は更に一歩踏み込んで彼らは「被差別民であった」と述べる。そんな民衆は多くがイエスに従ったのか。その理由について著者は、イエスが徹底的に「現場の活動家」であったからだと述べる。イエスの言葉(例えば「求めよ、さらば与えられん!」「右の頬を叩かれたら左も差し出せ!」)は、すべて現場で語られた言葉である。当時の宗教学者や律法学者たちが語りもしなかった言葉を、イエスは屈せず痛快に叫び続けたのである。そのような快活な生き方にこそ、人々は惹かれていったのであった。
また本書は、「信仰」という言葉の意味を一層広く深く捉え直そうと読者に語りかける。
「なんらかの形でイエスのことが『好き』であること、それこそが『キリスト教』や『教会』や『信仰』の出発点である。決してそのことを忘れるべきではない。洗礼を受けているかどうか、教会員となっているかどうか、クリスチャンらしい生活をしているかどうか、それらはいわば派生的な問題に過ぎないであろう。イエスを信じイエスに従おうとする人間は、果して自分自身がほんとうに『イエス・ファン』と呼びうるものなのかどうか、ほんとうにイエスという人間に溢れんばかりの魅力と感動をいだいているのかどうか、そのことをもう一度じっくりと問うてみるべきなのである」
著者は確固たる「信仰観」や「教会共同体」という理念にとらわれなくていいと言う。ただイエスの姿に感動を覚える、その活動に共感する。そんな少しの思いを持つ「イエス・ファン」こそが、イエスの語る「我に従え!」という生き方なのだと結論づける。
従来のイエス像を大胆に揺さぶる本書は、痛快さと爽快さに満ちている。同時に、聖書のテキストに集中することが、どれほど私たちを自由にするのかという気づきも与えてくれる。
【1,980円(本体1,800円+税)】
【ヨベル】978-4909871763