【書評】 日本クリスチャン・アカデミー共同研究『コロナ後の教会の可能性 危機下で問い直す教会・礼拝・宣教』 荒瀬牧彦 編
「これからの教会のかたちは決して一つではないはずだ。なぜなら教会のかたちはそこに集う人々がつくりあげていくからだ。世界が変わりゆく時、教会は問われるのだろう。教会のかたちはどのようなものかと。その問いに答えるべく、各々の教会の歩みが、今、動き出していることに目を留めたい」
伝統の回帰ではなく未来への展望を捉える本書は、コロナ禍とオンライン化で問われた教会の「かたち」について8人の牧師と神学者たちが語り尽くしている。その熟考された神学とアンケートを含む数的データを用いた思索は、今すべての日本の教会に限りない示唆を与えるであろう。
例えば礼拝について、これまで「同時性」と「共同性」、つまり「同じ時間」に「同じ場所」でささげるということが自明とされてきた。他方「キリスト者の信仰生活や教会の姿は、一般社会の影響を大きく受けながら変化してくものである」と指摘されている。一般的に午前10時、または10時半から教会で行われる礼拝は、ウェストミンスターなどの教理問答や中世ヨーロッパの市民社会の習慣から発生したものである。つまり、これ自体もまた社会の影響により形成された「文化」である。そしてコロナ禍において明らかとなったのは、礼拝をインターネット上で公開したことにより、あらゆる人々が場所や時間にとらわれず参加できるようになった点である。そこには、以前から警鐘が鳴らされていた「教会の敷居の高さ」を取り除く一つのきっかけがある。また「共同性」についても、現代社会のオンラインコミュニケーションの発達に注目した際、物理的距離感を強調する動きは時代が進むごとに薄れていることも事実である。
他方オンライン化にも、当然いくつかの検討すべき課題がある。例えば礼拝を配信する際、そこで語られる説教や報告には教会内部に関するものもある。ゆえに「公開範囲の設定」という点については議論が止まず、この点から対面礼拝のみを希望する教職者や信徒も少なくない。またオンラインでは補完できないものに、牧師や信徒間の交流や雑談がある。何気ない日常のひとコマこそ、信仰を育むきっかけにもなり得る。
本書ではさらに、信仰者が礼拝に臨む態度についても言及する。礼拝は「コンサート」や「演劇」のように、参列者が見聞したものを享受する空間ではなく、自身もまた信仰告白や祈り、奉仕によって身をささげることが求められる。神の語りと人間の応答は聖書で語られている重要な信仰理解であり、その欠如は本当の意味で信仰を育むのかという議論もある。
多岐にわたって繰り広げられる議論は、教会が直面する問題と可能性を丁寧にあぶり出す。それは単に「良し悪し」で片づけられるものではなく、より「立体的」に捉え直し、各教会ができる最善の賜物を祈り求めることにつながるのではないか。その契機として広く用いられることを願う。
【新刊】 日本クリスチャン・アカデミー共同研究『コロナ後の教会の可能性 危機下で問い直す教会・礼拝・宣教』 荒瀬牧彦 編
【1,650円(本体1,500円+税)】
【キリスト新聞社】9784873958163