【雑誌紹介】 言葉は心を伝えるもの 『信徒の友』5月号

「言葉」のあり方を考察する特集「ペンテコステ――伝える言葉を与えられ」。
「受け取る人の言葉で語り、神の愛を運ぶ」と題して小栗献(神戸聖愛教会牧師)が言う。
「わたしたちが教会で語っている言葉は、現代を生きる人々にとっては外国語のように通じにくいものになっていないでしょうか。大げさに飾り立てた形式的で内容のない言葉、相手を黙らせる権威的で押しつけがましい言葉、仲間内の言葉や独り言のようではないでしょうか」
「心に留めたいのは、言葉は情報を伝えるだけではなく、心を伝えるものでもあるということです」
「イエス・キリストが弟子たちに約束した聖霊は、ことばとして弟子たちの上に降(くだ)りました。わたしたちが福音宣教のために語ることばは、聖霊そのものでもあります。キリストはわたしたちが福音を語るそのことばに宿るのです」
池田季美枝(牛久教会牧師)は「魂を癒やすことばを」と題し、言葉の持つ二面性を指摘する。
「神学校を卒業するとき指導していただいた敬愛する牧師は、『牧師は説教で人を傷つけるもの』とおっしゃっていました。また、若い頃国語の教員免許を取得するために行った教育実習先では、母校の指導教諭が『教壇で言った言葉は消えない。記録に残っていなくても、文字に残っていなくても消えない』とおっしゃったことを想起します。ことばは時に人の心を鋭く突き刺すのです」
「その一方で、『それでよかったんだよ。そのままで自信をもっていいよ』とその人の自己肯定感を高めるような声かけが、なんと人を励まし、育てるものでしょうか。あるいは『あの時はごめんね。ちょっとカッとなっちゃって』というような笑いを交えたような謝罪のことばとコミュニケーションが、なんと人を癒やすものでしょうか」
「願わくはさまざまな場において裁きのようなことばではなく、癒やしを、喜びを、救いを、賛美を、神の愛を、イエスのゆるしを『ことばを尽くして』『魂を尽くして』伝えていくことができますように」
【600円(本体545円+税)】
【日本キリスト教団出版局】