【書評】 『説教 最後の晩餐』 吉村和雄
単立キリスト品川教会では、受難週の毎木曜日聖餐の制定を記念し「聖晩餐礼拝」を行う。その中で著者が聴衆とともに丁寧に読み解き、大切にしてきたイエスの受難の歩みを7篇の説教で味わう本書。
特徴の一つは易しい言葉で語られることにある。神学的な用語や、解釈を長々と説明することなく、日常的な丁寧な言葉遣いで語る。しかし、説教の内容、構成、みことばを語り抜くことには妥協がなく、力強く一貫した語りかけとなっている。
「子どもを心から愛している親には、その子のよいところがちゃんと見えます。それが本当に小さくて、他の人には全然見えないものであっても、親の目には見えるのです。そういう目で、主イエスは私たちを見てくださる。わたしたちが、ほんのわずか、御言葉を聞いて喜んだこと、希望を持ったこと、そういうことを主イエスはちゃんと見ていてくださる。だから『お前は全身が清い』と言ってくださるのです」(《洗足》「主の愛につつまれて」より)。
特に《十字架》「見捨てられた神の子」(マルコによる福音書15章33〜39節)の説教では、イエスの十字架での叫び、姿の惨めさを徹底的に語りながら、全力を持って私たちを救う神の愛を示す。神の子が惨めで絶望の淵に突き落とされる。人間の想像を超えた十字架上の出来事。それは同時にイエスを惨めに絶望の淵に突き落とすまでの人間の罪の悲惨さがどれほど大きなもので、「罪のために十字架で死んでくださった」という聞き慣れてしまった、本当の恵みを改めて深く刻みつける。
「わたしたちは、神さまの御心に従って生きるのは難しいと、心のどこかで思っています。けれども、御心に従って生きられないということは、本当は惨めなことなのです。そして自分の、この惨めさにきちんと向き合って、それを正面から受け止めなかったら、わたしたちに本当の慰めはないのです。そこをごまかしてしまったら、わたしたちが手にするのは、一時の気休めだけです」(《十字架》「見捨てられた神の子」)。
説教集であるが、著者が会衆に語りかけ、そして文章には表れない会衆からの応答を感じさせながら読み進むことができる。それは神のことばを聴く共同の営みであり、著者自身が「あとがき」で「説教は聞き手との間の対話である」と記す姿勢にも表れている。
改めてイエス・キリストの受難を深く知り、心に刻む説教集である。
吉村和雄
よしむら・かずお 1949年、福島県いわき市生まれ。東京大学工学部卒業。東京大学大学院修士課程修了。1990年〜2021年、単立キリスト品川教会主任牧師。現在は同教会名誉牧師。
【1,760円(本体1,600円+税)】
【キリスト新聞社】ISBN978-4-87395-819-4