【書評】 『なぜ「救い」を求めるのか』 島薗 進
宗教学者である著者による、「救い」とは何かという究極の問いに焦点を絞った1冊。ここでの「救い」とは必ずしも神による人間の救済という意味だけでなく、苦しみや悪のある世界を越えるものとしての「救い」についても取り上げる。
世界宗教や救済宗教の分類を丁寧に説明しながら、それぞれの「救い」に関する特徴を相対化し分析する。キリスト教に限らず「救われる」とはどういうことを指すのかを宗教の視座ではなく、できるだけ客観的に捉えようとする、ある意味で救済宗教への入門書とも言える。
第1章では、例えば日本人が「無宗教」と言われることについて考察する。いわゆる教義的に体系化された宗教観を持たなくても自然を超えた働きに何かを信じることに関し、物語、童話、歌、詩などを例に挙げながら、人は案外「救い」という概念に親和的であると論じる。
「『救い』の信仰を通して得られると信じられた、苦難や苦しみに耐える力、深いなぐさめや希望、そしてより良い生への意欲を促すような語りかけがそこに響いているとはいえるでしょう」(第1章「信仰を求めない『救い』」より)
第2章では、「救済宗教」が一つの国家として一致する上で大きな役割を果たしたこと、階級社会における不満を吸い上げる役割を果たしたことを分析する。
「それは、力の支配に対する対抗的な思想と生き方を示すものでもあり、同時に避け難い力の支配を力以外の方法で正当化する者でもある。この両面性をもつ救済宗教が、長く文明を支える力をもってきました。少し強い言い方をするならば、人類文明は『力による支配』と『それを超えるもの』という概念に取り憑かれてきた。そのように言えると思います」(第2章「『救い』に導かれた人類社会」より)
第3章では救済宗教の観念や、その影響力が人類文明にどのような影響を与えてきたのかを、主に西欧圏の学者たちを紹介しつつ概観する。ジーベック、トレルチ、ウェーバー、ヤスパース、ベラーらが人類史において救済宗教を理論的にどのように位置づけたのかを論じながら、近代以降の宗教学、宗教社会学の流れを解説。
第4章では近代以降の宗教批判、世俗化論を経て新宗教運動、スピリチュアリティといった流れを押さえつつ、伝統的な救済宗教の衰退と限界を論じながらも、消滅することはない救済宗教に改めて目を向ける。ますます多様化し、個人主義が広がる現代社会において、「生きるかたち」を整える「救い」の物語はなお生き続いてると結ぶ。
「『救い』の観念にそってどう生きていくのかを考えるとき、救済宗教の伝統に目を向ける必要性に気づきます。『救い』の信仰に軸足を置いた生き方が堅固な『生きるかたち』(生活様式)として継承されてきたのは、救済宗教の伝統においてです」(第4章「『救い』のゆくえ」より)
キリスト教は本書において、成熟し、体系化された「救済宗教」の一つとして取り上げられる。歴史的文脈、社会の発展、他宗教との比較・相対化によって見えてくるキリスト教が確かにある。そのような見方は、時にキリスト教に生きるがゆえに見落としてしまう視点を補ってくれる。「救い」とは何かという命題が、キリスト者にとって重要なテーマであるからこそ、広い視点の中で再考してみる必要がある。
【1,870円(本体1,700円+税)】
【NHK出版】978-4140819357