【書評】 『性暴力を受けたわたしは、今日もその後を生きています。』 池田鮎美

 図書室に通いつめた小学生時代の著者が、繰り返し読んだ「特別な1冊」は隠れキリシタンについて書かれた歴史小説だった。江戸時代の終わりから、時間も空間も超え、歴史を動かす「言葉の力」に魅せられたという。

 閉鎖的なムラ社会で物言う親のもとに生まれ、学校・地域ぐるみのいじめにあい、自ら命を絶った後も邪魔者扱いされてしまう親友ユパ(仮名)。生来の真面目さゆえに社会との軋轢(あつれき)に苦悩し、心身の健康を削り取られていく「2世」の姿とも重なる。

 そんな幼馴染との別れをはじめ、学生時代の性被害、「恋人」によるDV、取材先で受けた2度目の性暴力……壮絶すぎる体験を経てもなお、揺るぎなく貫かれているのは「言葉」が持つ力への信頼と言ってもいい。かろうじて、奇跡的に生きながらえた性暴力サバイバーの、当事者にしか紡ぎ出せない一言一句が突き刺さる。苦しみもがきながら生き延びて、その身に起きた出来事を書き残してくれたことに、ただただ感謝の念を抱かざるを得ない。

 苛烈な暴力に晒されることもなく、日常的に身の危険を感じることもなく、防犯にも無頓着でいられるマジョリティ男性とは、見えている世界があまりに違いすぎる。今さらながら、その落差に震撼する。

 長く性被害を恥としてきた日本においては、そもそもまともな記録がメディアに存在しないと著者。「あるとすれば『従軍』慰安婦にされた人に関する記述、それも韓国・朝鮮人『従軍』慰安婦についてと限定されていた。日本人『従軍』慰安婦も存在していたはずなのに、彼女たちについての記事を商業誌で見つけることはできなかった。まるで『日本人の女性はわきまえている=性暴力を呑みこむ』という前提が貫徹されているかのよう……。日本人の性暴力被害者が、その存在自体をここまで抹消されていることを知り、わたしは、信仰を隠さねばならなかった江戸時代のキリシタンや、ゲットーのなかに集められたユダヤ人のことを思い起こした」

 キリシタン弾圧からホロコースト、原発、いじめ、性差別、カルト、ジャニーズ事務所内の性虐待……。あらゆる課題がつながって眼前に立ち現れる。社会はこの間、性暴力とどう向き合ってきたのか。刑法に欠けてきた視点は何か。教会は果たして、これらの声を聞き取ることができたのか。勇気ある一人の声は、個人的な体験に留まらず、普遍性を帯びる。

【2,200円(本体2,000円+税)】
【梨の木舎】978-4816623059

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