【書評】 『格差社会の宗教文化 「民衆」宗教の可能性を再考する』 熊田一雄
経済的格差の拡大、人間関係の希薄化が進む現代日本。新宗教、あるいは民衆宗教と呼ばれる宗教はかつての勢いを失い減退期に入っているとされるが、宗教文化もまた衰退し意味を失っているのだろうか。本書では、文学・サブカルチャーにあらわれる宗教性に着目するとともに、流行らなくなって久しい「民衆宗教」を取り上げ、「宗教文化」として多面的に考察する。
著者は愛知学院大学で教鞭をとる宗教学研究者で、専門は宗教社会学・文化社会学・ジェンダー研究。しかし、恩師の島薗進氏からは「宗教論よりもマンガ論のほうが面白い」「アキバ系宗教学者」と評されるという(「おわりに」)。本書でも、『鬼滅の刃』などのサブカル作品を独自の視点から捉えなおした論考が光る。
第1章では村上春樹の小説『IQ84』からグノーシス主義、ラヴクラフト、セカイ系まで架橋して論じる。
「一九九五年のオウム真理教事件を文学的に総括したという側面もある小説『IQ84』と 『リトル・ピープル』という悪の表象が広範な読者に受け容れられた社会的背景としては、 もちろん、救済宗教が説く神話的世界観、とりわけキリスト教が説くような『至高善たる神』の存在が、現代の本を読むような階層の人々には縁遠くなっていることが挙げられる。プロテスタントの牧師の家に生まれたユングも、二度の世界大戦を経験して、もはや単純に正統派のキリスト教が説く『至高善たる神』の存在は信じることができず、その晩年には『善と悪とを併せ持つ』神を信じるようになっていた。……
しかし、『IQ84』が大ペストセラーになった社会的背景には、単に現代日本の本を読むような階層の人々には救済宗教が説くような神話的世界観が縁遠くなった、ということだけではなく、このような階層の人たちの間で、教団という持続的共同体を作ることを厭う ような『非社会的な個人主義』が広がっていることも挙げられよう」(第1章 小説『IQ84』における悪の表象について)
続いて、近年大ヒットしている『鬼滅の刃』を〈侠気〉という観点から考察する。
「二〇二〇年の日本の大衆文化シーンは、『鬼滅の刃』プームに席巻された。原作者の吾峠は女性であり、作品の人気も二十~三十代の女性から広がったという。私は、この作品は『女性の侠気』を描いたものだと思う。『鬼』は『弱い者を見ると虫酸が走る』という。これは、新自由主毅の『弱肉強食』の論理である。それに対して、『鬼滅隊』は、『あなたが人より強く生まれたのは、弱い者を助けるためです』という。これこそ、『侠気』の論理である。……
近年、新宗教における〈侠気〉が弱体化している気配もある。〈侠気〉は、新宗教の世界では弱体化してきたので、代わりに大衆文化に出てきたのではないか。『鬼滅の刃』ブームをそのように〈侠気〉の復権、として捉えることも可能であろう」(ノートⅡ 明治日本の宗教者とエートスとしての〈侠気〉)
第3章~8章では、天理教を取り上げ新宗教の可能性をとらえ直す。天理教の基本的な教えの中には「人たすけたら我が身たすかる」があり、その教えのとおり実行するとじっさいに病気が治ったという事例が報告されている。宗教による病気なおし(信仰治療)であるが、現代ではこれと同様の認知行動療法が、天理教に限らず、他の多くの自助グループで使われている。
「経済における新自由主義と『自己責任』の論理の生活領域への浸透に対する反動であろうが、昨年(二〇二一年)、『利他』という言葉が出版業界でクローズアップされた。本章も、その流れに棹さす研究である。例えば、アルコール依存症が、『自分を忘れて相手の飲酒を止めさせようとする』と、相手はとにかく自分は飲酒を止めていることができる、という事実は、人間性についてかすかな希望を抱かせてくれることである。人間は.徹頭徹尾『社会的な動物』であり、そのように、仏教者・最澄の言葉を借りれば『忘己利他』(もうこりた)に徹したときに、天理教だと親神の、仏教(天台宗)だと仏の『ご守護』がいただけるのである。社会的動物である人間は、人間同士の『つながり』のなかでしか健康に生きることはできないのであろう」(ノートⅣ 日本の新宗教における信仰治療)
認知行動療法とは、物事に対する考え方や行動パターンを変えることで、患者の心の負担 を軽くする治療法。地域医療に認知行動療法が定着した英国では、薬物療法と併用することで、自殺率が低下するなとの効果が出ているとされる。
「『人をたすけて我が身たすかる』とは、天理教に限らず、日本の新宗教、その中でもいわゆる教団組織を作るタイプの新宗教の多くで、言葉こそ違え、広く説かれている教えである。日本の宗教(特に新宗教)が『おたすけ』をおこなう際の『たすかりたい』から『たすけたい』への視点・行動の転換には、一種の認知行動療法の意味があるのであろう」(第7章 不安障害の信仰治療について)
本書では、天理教における信仰指導が不安障害に功を奏した事例を研究対象として分析しているが、一般に精神疾患に対する信仰指導が失敗した事例も少なくないだろうと、著者は付言する。しかしながら、認知行動療法の専門家を増員しようという動きが加速している日本の現状を鑑みれば、日本の宗教(特に新宗教)が不安障害の軽減にもっと貢献できる可能性がある。
昨今では新宗教やスピリチュアルが否定的な文脈で語られることも多い。だが、人間関係の希薄化した現代、「民衆」のための宗教や宗教文化には見直されるべき点があるのかもしれない。
【1,760円(本体1,600円+税)】
【風媒社】978-4833111454