【書評】 『イスラエル 人類史上最もやっかいな問題』 ダニエル・ソカッチ 著/鬼澤 忍 訳

 キリスト者なら誰もが関心を持つイスラエル。一度は訪れたいと願う地だが、この地域の歴史と現状が複雑であることもまた、誰もが認めるところだろう。数十年にわたり和解のための折衝を行ってきたにもかかわらず、いまだミサイルとロケット砲の応酬が続くバイブルランド。アメリカで生まれ育ったユダヤ人の著者が、この「人類史上最もやっかいな問題」を解きほぐし、平和への糸口を模索する。

 第一部「何が起こっているのか?」では、まずイスラエルの歴史を概説。紀元前から現代までの経緯をふり返る。

 紀元前63年、イスラエルはローマ帝国の属国(最終的には属州)となった。イエスがエルサレムで十字架にかけられたのはこの時代である。紀元70年、ローマに対する反乱が失敗し、敗れ去ったユダヤ人はエルサレムヘの立ち入りを禁じられ、多くの者が追放された。その後19世紀後半まで、イスラエルの地には小規模なユダヤ人コミュニティが存在するだけだった。

 19世紀末、キリスト教会を基盤とする昔ながらのユダヤ人嫌悪が、排他主義的ナショナリズムと結びつき、反ユダヤ主義が高まった。こうした偏見と嫌悪によって、1879年の「ポグロム」(非ユダヤ系ロシア人のユダヤ人虐殺)を引き起こされた。反ユダヤ主義はロシアだけでなくヨーロッパ社会全体に広がっており、やがてドイツにヒトラーが現れ、ナチス・ドイツはユダヤ人絶滅政策をとった。

 「ヒトラーが『最終的解決』を実行する前の数年間に、ヨーロッパのユダヤ人の多くに避難場所を提供する国が世界に一つでもあれば、……イシューヴ(ユダヤ人共同体)は孤立した小集団のままで、いずれ縮小して消滅した可能性がきわめて高い。だが、そうはならなかった」

 1948年5月14日、パレスチナ全土で戦闘が繰り広げられ、イギリスの委任統治が終わりを告げるころ、イシューヴの指揮者ダヴィド・ベングリオンは、イスラエルの独立を宣言した。アメリカ合衆国大統領はこの新生国家をすぐさま承認し、世界中のユダヤ人が祝杯をあげた。しかし「ユダヤ人国家」の成立は、歴史のハッピーエンドではなかった。新生イスラエルから逃亡した、あるいは追放されたパレスチナ人は70万人に達し、現在もパレスチナ自治区の難民キャンプには多くの人が住む。一方、イスラエルはヨルダン川西岸で入植地を拡大。ユダヤ人の「排他的権利」を全土に拡大すると誓っている。

 第2部では、今日イスラエルが直面する難題をトピックごとに考える。中でも重点が置かれているのがアメリカとの関係だ。

 「何世代ものあいだ、アメリカのユダヤ人コミュニティはシオニスト事業とイスラエル建国に貢献してきた。……何世代ものあいだ、イスラエルの指導者たちはイスラエルをアメリカの外交政策の最俊先事項としてもらうため、アメリカのユダヤ人コミュニティに頼ってきた。……この共生的連携は長年うまく機能してきたが、もはやその機能を失っている。アメリカのユダヤ人(圧倒的にリベラルで民主党を支持する)とイスラエル(右傾化し、キリスト教福音派と共和党に支援を請う傾向を強めつつある)との隔たりがいよいよ拡大するにつれて、この歴史的関係は変わりつつあり、……こうした溝がアメリカのユダヤ人コミュニティを引き裂いている」

 このような事態に拍車をかけたのが、ドナルド・トランプとベンヤミン・ネタニヤフの「蜜月」。ともに右派ポピュリズムを推進し、人種的偏見に満ちた言葉を政治利用するという似た者同士の盟友だ。トランプは大統領在職期に、ネタニヤフが望みうる限りのことをした。そのため、「イスラエルのユダヤ人の大半はトランプが好きだったかもしれないが、アメリカのユダヤ人の大多数は彼に我慢がならなかった」と著者は述べる。

 では、アメリカでユダヤ人以外の人はこの件をどう捉えているのか。キリスト教徒の動向に目を向けると、また違った受け止め方をしていることがわかる。

 「アメリカ人のおよそ四分の一が福音派キリスト教徒を名乗り、そのうち八〇パーセントが、ユダヤ人のイスラエルヘの帰還と国家建設が『イエス・キリストの帰還が近いことを示す聖書の預言の成就』だと信じているという」

 これは天啓史観(ディスペンセーション)と呼ばれる考え方である。天啓史観の起源は、19世紀イギリスの聖書愛好家ジョン・ネルソン・ダービーの教えにある。ダービーによれば、歴史はいくつかの時代、すなわち「ディスペンセーション」に分かれており、いまの時代が終わると「携挙」があり、真のキリスト者は天に移される。次に反キリストが台頭し、「艱難の時代」、その時代が終わると、ハルマゲドンの大決戦があり、このときイエスは地上に再臨するのだとされる。それが「御国の時代」の幕開けで、善人が勝利したあとに「最後の審判」があり、その後、キリストが地上に君臨する「千年王国」が訪れる。これらすべてが起こるためには、まずユダヤ人が約束の地であるエルサレムへ戻らなければならない。ダービーの天啓史賎は、現代のキリスト教シオニズム運動の中心にある。

 「天啓史観を信奉するキリスト教シオニストは、イスラエルの現代史をそうした預言の成 就と見る。だから、大勢の福音派キリスト教徒が、入植事業も含めてイスラエルが何をしようと、あれほど熱心に支援するのだ。……ドナルド・トランプのキリスト教徒らしからぬ振る舞いにもかかわらず、なぜあれほど大勢の福音派キリスト教徒があれほど献身的に彼を 支えたかを説明するのにも、イスラエルが一役買う。彼らにとって、トランプは現代のキュロス大王だった。古代ペルシャのキュロス大王が六世紀にバビロンを征服し、捕囚となって いたユダヤ人を解放したおかげで、ユダヤ人はエルサレムに帰還して神殿を再建できた。天 啓史観論者によれば、トランプはキュロス大王と同様に信仰が薄く、性格に欠点のある指導者だったが、それでも、神の道具として奉仕するべく選ばれた」

 2018年、トランプ大統領(当時)がアメリカ大使館をエルサレムに移転した後、ネタニヤフ首相は、キュロス大王を記憶するように、イスラエルはトランプを記憶するだろうと演説したが、これは聖書の歴史を現代に当てはめたものだ。

 本書の解説で中川浩一氏は「二〇二三年は、日本と中東(イスラエルとアラプ諸国)の関係を大きく変えた一九七三年の石油ショックから五〇年、本書の直接のテーマである『イスラエルとパレスチナの和解』が実現したオスロ合意から三〇年にあたる。その節目の年に、中東の歴史を深掘りしたこの本はまさに日本人が読むべき一冊である」と評する。

 本書から学べることの一つが、聖書の舞台であるイスラエルに、各時代のキリスト者たちが自身の神学思想をもってコミットしてきたことだ。神のみ心がなされるようにと願い行ったことであっても、その結果、現在の状況に至っていることは事実である。他国の政治や対外政策に、宗教思想を奉じて擁護することが望ましいのか否か、節目の年に改めて考えたい。

【2,860円(本体2,600円+税)】
【NHK出版】978-4140819333

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