【書評】 『神のことばによって形造られる 霊的形成における「みことば」の力』 M・ロバート・マルホーランドJr 著/中村佐知 訳

 聖書をどう読むべきなのか? この問いはキリスト者であろうとそうでなかろうと、聖書に向き合う人々に常に提示される永遠の課題であろう。

 本書が提示するのは、聖書は情報(Information)として読むのではなく読み手を神の似姿へと形成(Formation)していく、霊的形成(Spiritual Formation)としての聖書の読み方である。

 近年、キリスト者の霊性や霊的形成といった言葉が注目されるようになっている。霊性(Spirituality)と聞くと、何か体験的で、劇的な変化や方法を思い浮かべる人も多いだろう。しかし、著者は霊性とはキリストのかたちに形成される人生の歩みそのものであると述べる。

 「霊的形成とは、瞬間的な体験ではありません。ときには瞬時に何かがなされることもあるかもしれませんが、本来はそういうものではありません。それはキリストのかたちへと成長していく、生涯続くプロセスです。霊的形成の『徐々に変化する』という側面は、即時の満足を求める私たちの文化に逆行します」(第三章「霊的形成の本質」)

 私たちが聖書を読む時、自然に陥ってしまう情報中心の読み方を六つの特徴に分類する。以下、第5章「情報対形成」より。

情報中心の読み方

1 できるだけ早く、できるだけ多くの分量を読もうとする。

2 「読む」とは、いくつかの部分を通り過ぎていくプロセスと変わらないと思い、最初の内容から二番目、三番目と直線的に読む。

3 自分がテクストの主人となることを求め、把握し、理解しようとする。自分たちのアジェンダを世界に押し付けるためにその情報を用いる。

4 テクストとは自分の「外側」にある対象物で、目的や意図や願望にしたがって、コントロールし、操作する。つまり、自分に影響が及ばないように、テクストから距離を置く。

5 分析的、批評的、そして批判的。認知的、合理的、知性的なアプローチの適用になる。

6 問題解決志向。機能性重視の読み方。欲していることを行うのに「使える」かどうかを判断するため、できるだけ早く読み進めようとする。

 一方、形成されるための読み方とは正反対だという。

形成中心の読み方

1 読む量を数量化することを避ける。一つの文章、一つの段落、あるいは1ページに立ち止まり、前に戻り思い巡らし、読み切るのではなく、テクストの中で神と出会おうとする。

2 直線的に急いで次の文章に行くのではなく、深さを求める。テクストに自分を探ってもらうことを求める。

3 テクストにあなたを支配してもらう。聖書に耳を傾け、受け取り、応答し、神のことばの主人ではなくしもべになるつもりで、心を開いてテクストに向かう。

4 テクストは自分の洞察や目的に合わせて支配し操作する対象ではなく、読書における関係の主体となる。テクストの前で十分に時間を取って待つ。

5 分析的、批判的、批評的とは対照的に、神のことばに対して純粋に心を開き、純粋に受け取ろうという、神の前にへりくだるアプローチを持つ。

6 問題解決を見つけるためにテクストに向かうのではなく、私たちが「神」と呼ぶ神秘に対してオープンに、心を開いてテクストの前に立つ。

 以上のような、「情報」vs「形成」としてのアプローチを比較すると、情報中心のアプローチは避けるべきだと捉えてしまいがちだが、情報中心の読み方と形成中心の読み方のバランスが必要だと著者はいう。

 「どちらも必要です。神は私たちに、知性を尽くし、また心を尽くして神を愛するようにとおっしゃいました。情報的な側面はもっぱら私たちの知性・頭に関連します(それだけではありませんが)。形成的な側面はもっぱら私たちの心に関連します(それだけではありませんが)。その両方を持ってバランスを取らなくてはなりません」(第五章「情報対形成」)

 聖書の読み方の認識の転換がどのような経験上の変化をもたらすのか。形成的な霊的読書の障害となるものについて、そして、最後の章ではジョン・ウェスレーの旧約聖書註解の前書きを抜粋しながら、実践的な霊的形成としての聖書の読み方についてを紹介する。霊的形成という響きから、主観的で体験的な聖書の読み方を想像してしまいがちだが、著者は新約聖書学者であり、聖書学的、学術的アプローチからも十分な読み応えがある。

 聖書を理解する以上に、聖書によって形成されることを願う読者にとっておすすめの1冊。

【1,760円(本体1,600円+税)】
【地引網出版】978-4901634502

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