【書評】 『近代日本のクリスチャン経営者たち』 山口陽一
日本が「近代」に足を踏み出した明治期、キリスト教の宣教もはじまり、新しい世で事業を起こす者たちのなかには、キリスト教信仰を元に経済活動を行い、利益を社会に還元する動きも見られた。本書ではそうしたクリスチャン経営者20人あまりに光を当て、信仰との出合いや困難、死に至るまでの生涯に加え、家族や人的交流なども紹介。各人数ページずつコンパクトにまとめられているが、興味をもった人物をより詳しく知るための参考文献も付記。近代日本でキリスト者が起業家という立場からも社会に影響を及ぼしてきたことを映し出す。
「キリスト教の開拓精神は北海道でその力を発揮します。札幌農学校一期生佐藤章介の長男、佐藤昌彦の『北海道の開拓とキリスト教精神』はそれをよく物語っています。……
鈴江英一によれば、一九一〇年頃、札幌の南一条通りの西一丁目から西四丁目の『巨商街』とよばれた目抜き通りには、クリスチャンが経営する店舗が十九あり、信徒が五十九人いました」(6「北海道開拓とキリスト教」)
ノリタケを起こした森村市左衛門にはこのようなエピソードが伝わる。
「森村市左衛門は、長田時行牧師に導かれて信仰の証を残しました。トラクト『基督に在りて逝きし森村市左衛門翁』によれば、病床を見舞った渋沢に、『渋沢さん、斯うなって見ると神の有難さが一層判ります、人間界の事凡て神のお陰ですよ』と言い、長田時行牧師には『自分は一生の中に何も成功しないが、晩年基督教徒になったことが唯一つの成功だ』と語ったそうです。遺言には盛葬の禁止と医学研究のための献体が記されていました。植村正久は森村の訃報に接し、『基督において死にし実業家』という一文を書いています」(7「ノリタケの森村市左衛門、晩年の明確な回心と信仰」)
文中に登場する渋沢栄一はキリスト教徒にならなかったが、キリスト教社会事業と国際交流のサポーターとして紹介する。
「渋沢栄一(一八四〇~一九三一)は、その生涯を論語によって生きた人ですが、キリスト 教ともさまざまな繋がりがあります。特に、救世軍をはじめとするキリスト教の社会事業 と国際交流は渋沢の援助を受けました。森村市左衛門は社会事業支援における渋沢の盟友 ですが、森村はクリスチャンになり、渋沢はなりませんでした。渋沢と森村は、宗教者同士の相互理解と協力を推進する帰一協会(一九一二~四二年)のメンバーでもありました。……
渋沢は、一九一二年四月に、宗教者同士の相互理解と協力を推進する『帰一協会』を設立します。日本女子大を創設した成瀬仁蔵を中心に、姉崎正治、浮田和民、森村市左衛門ら十二名が発足人となっています。キリスト者としては、江原素六、島田三郎、新渡戸稲造、石橋智信、内ケ崎作三郎、佐藤昌介、斉藤惣一、原田助、今岡信一良、高木八尺、M・C・ハリス、D・C・グリーン、C・マコウリー、W・アキスリングらが参加していますから、かなりの広がりを見せた運動でした」(17「渋沢栄一、キリスト教社会事業と国際交流のサポーター」)
ライオンの小林富次郎、グンゼの波多野鶴吉、森永製菓の森永太一郎、クラボウの大原孫三郎、白洋舎の五十嵐健治ら著名な起業家だけでなく、「津軽の産業王」長谷川誠三や北海道開拓に関わった鈴木清・沢茂吉・志方之善、政治家になった武藤山治、経済人伝道者の本間俊平・内山完造など、様々な活動を行ったクリスチャンを幅広く網羅しているのが本書の特長。
「おわりに」では、著者自身の背景についても語る。
「私は群馬県吾妻郡で江戸時代から続く商家の十四代目として生まれました。クリスチャ ンとしては四代目です。曽祖父山口六平は、家族で海老名弾正から洗礼を受けました。六平 は殖産興業に尽力しましたが成功はしませんでした。遺産はキリスト教信仰です。大伯父 治郎は内村鑑三の『商売成功の秘訣』を手元に置いていました。私はそのビューリタン的な信仰の家から初めての牧師となりましたが、どこかで商家の血を引いてるようです」
自らの中に流れる商家の血を見つめることで、近代日本のキリスト教史に脈々と受け継がれるクリスチャン経営者の信仰と実践にたどりついたのだろうか。その水脈は現代まで途切れず流れ続けている。名前だけが挙げられている、松本望(パイオニア)、飯島藤十郎・飯島延浩(山崎製パン)、小倉昌男(ヤマト運輸)、三谷康人(カネボウ薬品)、金山良雄(ムラサキスポーツ)、池田守男(資生堂)、中島總一郎(芝浦電子)、上田利昭(チュチュアンナ)らについても詳しく知りたい欲がわく。続編も期待される。
【1,100円(本体1,000円+税)】
【いのちのことば社】978-4264044079