【書評】 『徳富蘇峰 日本の生める最大の新聞記者』 中野目徹

 徳富蘇峰は明治から昭和にかけて最も活躍した新聞記者である。「全国無数の青年の心に火を付け」たことから、「放火犯人の中(うち)最も危険なる人」と評されるほどの人物であった。同時代の読者にそれほど大きな影響を与えたのが蘇峰の言論活動だったのだ。本書は、若くしてキリスト教に出合った蘇峰が、時代の変転とともにどのように生きたのかをていねいに追った1冊。政治とメディアの関りという観点からも、いま蘇峰を通して考えるべきことを教えてくれる。

 蘇峰は、幕末の世情騒然たる1863年、父徳富一敬・母久子の第六子長男として、母の実家のある肥後国(のちの熊本県)上益城郡で生まれた。徳富家は「読書の家」で、蘇峰は母から唐詩などを学んだ。

 1873年、県が設立した熊本洋学校に入学し、L・ジェーンズから本格的に英語を学ぶとともに、キリスト教にも惹かれて花岡山で締盟された「奉教趣意書」に署名した。その後、同志社に転じ、生涯の師とあおぐ新島襄と出会い、彼から洗礼を受けることとなった。ジェーンズの感化を受け同志社に学んだキリスト者の群れを熊本バンドと呼ぶ。

 「足かけ五年におよぶ同志社の学生時代は、宣教師たちの態度に反発を感じ、教場ではあまりえるところがなかったように回顧されることも多いが、実際はそうでなかった。宣教師でもある教師のD・ラーネッドから雑誌Nationを購読する機会をあたえられ、イギリス・マンチェスター学派のR・コブデンやJ・ブライトの著作に親しむ契機をえたのも彼の影響であった。Nationは『国民之友』創刊に際してモデルとなったし、マンチェスター学派の政治思想や経済構想は初期の著作や新聞・雑誌における蘇峰の主張の背骨となった」

 1887年、「平民主義」を唱える雑誌『国民之友』を創刊。成功を収めた蘇峰は、3年後に『国民新聞』を創刊した。文名は一気に上がり、多くの青年が書簡を寄せたり自宅や社を訪問したりするようになった。そこで蘇峰から奮励され、のちに成功者となった「蘇峰ファン」としては、森永製菓の創業者・森永太一郎、服部セイコーの創業者・服部金太郎らがいる。

 しかし1897年以降、『国民新聞』は次第に政府御用化の道をたどる。「変節」を非難さえ、経営に打撃を受けた蘇峰は、かえって藩閥政治家との距離をつめることで『国民新聞』の再建をはかる。1901年、第一次桂内閣が誕生すると、蘇峰と桂の蜜月関係は公然ものとなり、桂内閣の「御用記者」と表現された。『国民新聞』の編集方針も、少数主義から多数主義へ、読者も知識層から一般大衆へと方向転換された。具体的には、三面記事の拡充などである。しかし大正政変によって、桂という後ろ盾を失い、発行部数は三割減少。桂が逝去すると、蘇峰は特定の政治家との関係を打ち切り、「立言者」に戻る決心をする。

 1929年には国民新聞社を退社。支持者たちが蘇峰会を結成したが、その頃から日本ではしきりに「非常時」が叫ばれるようになり、31年、満州事変が勃発した。蘇峰は、天皇親政のもとに人材を網羅した内閣を組織すべきだと主張し、満州事変に際しては、「世界に対して何等疚しき所がない」「亜細亜の縄張りだけは日本が引き受けて立派に治めなければならぬ」と述べた。さらに39年になると、「日本は神国なり」「天皇は実に現神(あらひとがみ)」「日本の土地は元来皇室の物」といった言辞があらわれ、「皇国日本は膨張する運命」にあると発言した。

 「昭和十七(一九四二)年二月には、東条英機首相を総裁とする大東亜建設審議会の委員となったほか、五月に結成された日本文学報国会と、十二月に組織された大日本言論報国会の会長に就任した。このように蘇峰は思想戦の最高指導者の立場に立ち、相変わらず新聞に筆をとり、ラジオに出演して国民の戦意を高揚し、政府・軍部とともに戦争指導に従事し続けた。昭和十九(一九四四)年になっても、『日本は既に勝つている、又た勝ちつつある』という希望的観測を述べ、……消耗戦をいとわぬ主張を繰り返し、最後まで『必勝』を確信していた。これらの言動が戦後A級戦犯に指定されることにつながった」

 ところが、蘇峰の希望的観測に反し日本は負けた。記者を標榜していたにもかかわらず、蘇峰は8月15日の玉音放送によって初めて日本の敗戦を知ったという。蘇峰は、敗戦後しばらくは、戦前からの立場に固執していたが、間もなく昭和天皇批判を始める。12月、A級戦犯として逮捕命令が出た。老齢だったためスガモ・プリズンに収監されることはなかったが、自宅蟄居となった。翌年の8月15日には、記者蘇峰の一周忌として、自分で「百敗院泡沫蘇居士」という戒名をつけて香を焚いて弔った。自宅蟄居を解かれると、1953年、母校である同志社を訪問した。

 蘇峰の生涯と活動を俯瞰して、著者は以下のように考察する。

 「要するに蘇峰は、体系的な思想を有する思想家として評価するよりも、『現実』から『思想』を築き上げ、それを『言葉』として『現実』に投げ返すという言論活動を生涯にわたって行った『日本の生める最大の新聞記者』として評価すべきであろう。それだけに、満洲事変が勃発し『非常時』が叫ばれるようになって以降は、『現実』の『思想』化に失敗し、あやまった『言葉』を発し続けたジャーナリストであったといわざるをえない」

 また蘇峰は、権力を監視する第四の権力としてのマスコミではなく、権力をも指導する機関としての新聞・新聞記者になろうとした。メディアの御用化が懸念される昨今、徳富蘇峰という人物を通して得られる教訓があるのかもしれない。メディアによる言論活動のあるべき姿を、その責任を含めて考え続けていく必要がある。

【880円(本体800円+税)】
【山川出版社】978-4634548831

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