【書評】 『創造論者vs.無神論者 宗教と科学の百年戦争』 岡本亮輔
地球平面(フラットアース)説など陰謀論を信じる人は意外と多い。宗教と陰謀論は、ある面においてほとんど同じ宗教的・社会的機能を持つ一方、決定的な違いもある。キリスト教など多くの伝統宗教は社会制度・慣習・倫理・文化などと影響を与え合い、存在してきたという側面を持つ。しかし近年、米国ではQアノンに一部の「福音派」クリスチャンが積極的に参画するなど、宗教と陰謀論のボーダーが崩れてきた。
本書では、米国で100年にわたり激しく戦われてきた創造論vs無神論の法廷闘争を追い、その個性的な論者たちに着目。論戦の過程で現れたパロディ宗教、インテリジェント・デザイン論などにも射程を広げ、宗教の次の100年はどうなるのかを展望する。
1925年、学校教育において進化論を教えるかをめぐり、「モンキー・トライアル」と呼ばれる裁判が起こった。これは元々、町おこしのための茶番だったが、宗教vs科学の激論が交わされ、全米の注目を浴びることとなった。評決は、進化論を教えた教師に罰金刑を下すというもので、進化論を信じることも主張することも構わないが、州法にしたがって職務を遂行すべきだったと判示された。しかしその後、州最高裁が手続き上の不備を理由に判決を無効とし、裁判自体が無かったことにされた。
この裁判以降、進化論はアメリカの教科書から姿を消していたが、1957年のスプートニク・ショックを受けて科学とその教育の大切さが認識され、教科書に再び掲載されるようになった。一般社会でも素朴な聖書無謬説は徐々に通用しなくなっていったが、そんな中、創造論たちは科学を利用した、より洗練された考え方を提起するようになる。創造科学やインテリジェント・デザイン論(ID論)といった科学風味の創造論だ。
創造科学では、聖書に書かれたことがすべて事実であると弁証するために科学を用いる。例えば、古生物の中には原生生物からは想像もつかない姿形のものが存在するが、創造科学の古生物学者は、それは神が最初からこのように創造したからだと主張した。当時、身体構造が類似した古生物が見つかっていなかった「タリーモンスター」を取り上げて、生物が共通の祖先から分化してきたとする進化論は間違いであると批判したのだ(その後、「タリーモンスター」はヤツメウナギと同系統であると結論づけられ、科学誌『ネイチャー』に論文が掲載された)。
ID論では、何らかの知的な存在(インテリジェント)がこの世界を設計(デザイン)したと主張する。創造科学の論者たちのように「神」や「創造主」といった用語を使わないので、創造科学よりもID論の方が科学的な印象を与えるが、方法論や内容が変わったのではなく言い方を改めたにすぎない。
「詳しく見れば、創造科学とID論にはいくつも異なる点があるし、そもそも創造科学もID論も一枚岩ではない。地球の年齢については、創造科学では約四〇〇〇年から一万年程度とする若い地球(ヤング・アース)説が優勢だが、ID論では現代科学の定説である約四六億年という長い時間を認める古い地球(オールド・アース)説を受け入れる傾向にある。当然、古い地球説の方がまともに見えるが、だからと言って若い地球説が駆逐されたわけではない。……
また、古い地球説にも様々な立場がある。……一日一時代説だ。創世記の一日は二四時間よりも長く、数千年や数億年に相当するという解釈で、聖書無謬説には反する。また、創世記第一章の一節ごとに大きな時間的隔たりがあるとする断絶(ギャップ)説もある」(第3章 ポケモン・タウンの科学者たち)
2005年、ペンテコステ運動発祥の地とされるカンザス州の州都トピカで、科学教育をめぐり法廷形式の公聴会が行われ、ID論の立場をとる科学者20人が登壇し、「自然と謙虚に向き合って科学的に推論すれば、この世界は何者かによって創られたことが分かる」と力説した。その際に、公開書簡という形でID論への懸念を表明したのが、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教(略称:スパモン教)の創始者ボビー・ヘンダーソン(1980年~)である。
スパモン教の創造主スパモンは2個のミートボールと絡み合うスパゲッティからできており、上部にカタツムリのような目玉が飛び出している。教義らしい教義はないが、人を外見で判断しないなど、八つの「本当にやめて欲しいこと」がある。信者は世界に1000万人以上おり、著者自身、このスパモン教の聖職者の1人であるという。
ヘンダーソンは、ID論が公聴会で検討されるなら、スパモン創造説も同じく検討されるべきだと異議申し立てをした。スパモン教は、伝統宗教とそれを特権的に守る制度や法律に対する風刺という形の批判だったのである。奇天烈なパロディ宗教であるが、学校教育めぐる動向(ID論の浸透)に対する危機感を背景に、スパモンは召喚されたということだ。
トピカの公聴会は、信仰にも科学にも偏らない穏健な信仰者の奪い合いの体をなすようになり、最終的に、創造論者のカンザス州侵略は食い止められた。
ところが、ちょうどトピカの公聴会が行われていたころから、のちに4人の騎士(フォー・ホースメン)と呼ばれる新無神論者が活動を始め、宗教と科学の戦いは一変していく。4人の騎士――すなわち、サム・ハリス、リチャード・ドーキンス、ダニエル・デネット、クリストファー・ヒッチンズは、宗教と一切妥協せず、すべての信仰者に宣戦布告した。創造論者と無神論者の中間には、穏健な信仰者という厚い層があったが、4人はこうした中途半端な人たちを最大の攻撃対象とし、どちらに与するのか旗幟を鮮明にせよと迫った。
4人の騎士の主張は、①宗教は有害で長所は何もなく、②宗教と信仰のメカニズムは進化論をはじめとする科学によって解明された。③子どもたちに宗教を継承してはならず、宗教は滅びるべきだ、というものだ。新無神論者によって巻き起こされた旋風によって、2005~07年の3年間でイギリスのアマゾン社では、宗教カテゴリーの本の売り上げが50%以上上昇した。一番人気はドーキンス、次がヒッチンス。新無神論者の批判本も売れ、聖書の売り上げまで120%伸びた。
信仰を擁護して彼らを迎え撃ったのは、国立衛生研究所のトップを務めたフランシス・コリンズ(1950年~)である。コリンズは国際ヒトゲノム計画を統括した責任者で、2021年まで米国におけるコロナウィルス対策の責任者だったが、その彼がキリスト教信仰を守るために熱心に活動を展開した。コリンズは、特に目新しい話はしない穏健な信仰者で、神は自然の外にいるから科学では接近できず、科学と宗教は矛盾しないという立場だ。創造論者には聖書無謬説が誤りだと伝え、信仰と科学を調和させるべきだと説いている。
終章では、今後の流れを見据えた著者の見解が示されている。科学の優位、宗教の劣位という構図が先進社会で今後逆転する見込みはないとしても、宗教が一定の役割を果たすのではないかと予想されている。
日本社会にはキリスト教と反キリスト教という対立構造がなく、創造論vs無神論の論戦が繰り広げられたり、それによる分断が起こったりはしていないが、そのため洗練された宗教批判も育っていないという側面がある。だが、宗教や陰謀論、スピリチュアルに関する問題が毎日のように報道されている。信仰とは何か、宗教とは何か、社会全体で問い直していく必要がある。
【1,980円(本体1,800円+税)】
【講談社】978-4065332474