【書評】 『新約聖書 改訂新版』 新約聖書翻訳委員会 訳

 『岩波版新約聖書』は第一分冊『マルコによる福音書 マタイによる福音書』が1995年に発売され、その後1996年に発刊された『パウロ書簡』で全5冊が完結した。以来、『岩波版』は、その独自の翻訳方針から信者以外の一般の読者層にも幅広く受容された。責任編集の佐藤研氏によれば、「改訂作業の方針は初版のそれと同一であるが、より徹底したものにするよう試みた」「事実上これが『岩波版新約聖書』の最終決定版」だという。

「もし人が私の後ろから従って来たいと望むならば、自分自身を否み、自分の十字架を担って私に従って来るがよい。」
「もし人が私の後ろから従って来たいと望むならば、自分自身を否み、自分の杭殺柱を担って私に従って来るがよい。」

「そして彼らは、彼を十字架につける。」
「そして彼らは、彼を杭殺柱につける。」

「あなたたちは十字架につけられた者、ナザレ人イエスを探している。彼は起こされた、ここにはいない。」
「あなたたちは杭殺刑に処せられてしまった者、ナザレの者イエスを探している。彼は起こされた、ここにはいない。」

 旧版では十字架と訳されていた言葉が、改訂版では杭殺柱(杭殺刑)と訳されている。巻末の用語解説「十字架」欄には「共観福音書においては、この処刑法の形態を重視して、あえて『十字架(刑)』と言わず、『杭殺柱』『杭殺刑』の語をあてた」とある。この解説によると今日「十字架」と訳されるギリシャ語の「σταυρός」はもともと「杭」の意味、ラテン語の「crux」は原意が不明だそうである。後世の制度的キリスト教のイメージがあまりにも強い十字架という語をあえて使わず、徹底的に残酷な処刑法であることを明確にした表現に替えたものと思われる。

 「(例えばフランス革命における死刑執行の首切り台ギロチンの持つ凄惨な響きを比喩的に考えてみたらよいであろう)。むしろパウロにおいてはとくに顕著な仕方で、十字架の『愚かさ』『弱さ』『躓き』『(律法による)呪い』としての性格が、逆説的に肯定されていく。そしてその捉え方は、マルコによって継承されていく」(用語解説「十字架」より)

 聖書の翻訳は、その聖書を何に用いるかにも影響を受ける。例えば聖書協会共同訳では「ἀδελφός」を「兄弟」ではなく「きょうだい」と訳する。家父長制の時代、まず連想される意味は「兄弟」であろう。だが現代の礼拝で読まれる聖書であるということを鑑み、さまざまな性のあり方に配慮した「きょうだい」との表記になっている。多様な背景を持つ人々が今、この時代に集まる礼拝で用いられる聖書という意味で、歴史的背景よりも現代的状況が優先される。

 一方で本書が最優先とすることは、原典に忠実であること。このことは、原典成立当時の歴史的背景に忠実であることをも意味するであろう。十字架という言葉を聞くたび、私たちは血みどろであえぐイエスを想像するであろうか。十字架刑という語から毎回、見せしめに惨殺されていった人々の絶叫や、釘で裂けた肉のことを考えるであろうか。杭で殺すという表現からは、はらわたを締めつけられるような恐ろしさが伝わってくる。

 聖書が語る言葉に驚き、あえて言うならば躓く。その驚愕に迫ろうという訳者たちの格闘が、「杭殺」という表現一つからもうかがえる。

【8,360円(本体7,600円+税)】
【岩波書店】978-4000616003

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