【書評】 『古代シリア語の世界――シリア語で伝えた東回りのキリスト教』 川口一彦

 本書は牧師にして「基督教教育学博士」である著者による著作である。シリア語文法を概説し、それを通してシリア語・景教文献および大秦景教流行中國碑(以下「景教碑」)を読解・解説しようと試みている。『景教』(イーグレープ、2014年)の姉妹編と銘打たれているだけあり、端々から著者の景教に対する意欲と情熱が強く感じられる。ただしその中身については少なからぬ問題が見受けられるのであるが、それについては後述するとして、目次から紹介しよう。

1章 古代シリア語とは
2章 シリア語の文法
3章 シリア語の大秦景教三威蒙度讃
4章 大秦景教流行中國碑のシリア語
5章 派遣者アダイの教え
6章 マタイの福音書1章~ シリア語訳

 1章は著作全体の礎となるべき部分であるが、すでにいくつか問題を含んでいる。「(シリア語は)……アラム語をもとに作られ」(6頁)、「シリア語からモンゴル語が生まれたとも言われています」(7頁)との表現があるが、前者は事実誤認もしくはそれを招くもので、後者はシリア文字、モンゴル文字の間違いであろう(両言語に系統関係はまったくない)。そのほか文字、言語、教会共同体とその呼び名を混同した表現が多く、アラム語・シリア語をめぐる歴史的背景を適切に解説したものとはいえない。

 2章はシリア語文法を扱う。著者によれば、CoakleyによるRobinson’s Paradigms and Exercises in Syriac Grammar(以下「原著」)を「全訳したあと、抄訳したものを本書に掲載」しているという(13頁)。しかし掲載されているのは表紙写真だけで書誌情報は一切ない。続く諸章で掲載されるテクストの書誌情報もなく、極めて不誠実だと言わねばならない。

 まず文字の各書体、名前、転写、読み、語頭形・語中形・語末形・単独形が一覧形式で紹介される(14頁)。本章といわず本書全体のなかで随一に興味深い試みは、ここでエストランゲロの左側、すなわち表の先頭に「景教碑字」を掲載していることである。アラム文字やソグド文字の文法書で、実際の形や字どうしの細やかな差異に注意を向けるため実際の碑文から字体の例を取っている類例はあるし(S. Segert, Altaramäische Grammatik mit Bibliographie, Chrestomathie und Glossar. 1te. Aufl. 1975. [2te. Aufl. 1983], 吉田豊『ソグド語文法講義』2023)、景教碑に対し関心を持つ読者を想定していることからしても、実際の字形を見て学ぶことができる優れた試みであるといえる。

 ただし、それはそれぞれの字について正しい解説がなされている場合に限る。“alaph”は声門閉鎖音(子音)であってさまざまな母音と組み合わされうるため、/a/という翻字は不適当であろう。また“ ‛E ”を/á/, “ Shin ”を/s(・)/などと転写する例は寡聞にして知らないし(原著とも異なっている)、それぞれ有声咽頭摩擦音[ʕ]・無声後部歯茎摩擦音[ʃ]を表すのに適切だとも思えない。加えて、せっかく「景教碑字」、エストランゲロ、「東方書体」が紹介されるのに、以降の文法部分では景教(東シリア教会)とあまり縁のない西シリア書体が用いられる。こちらは原著でそうなっているからなのだが、関心を同じくする読者のために一言ことわっておくべきではなかろうか。

 カタカナ・ラテン文字転写にも不注意・誤りが多い。カタカナによる長短の表記は一貫しておらず(15頁「エナ」vs.「ナー」)、自ら示した転写の原則を破っている場合も多い(16頁下の“tba”は“ṭba”とすべきところ)。15頁右上の単語につき、実際の発音は「ナシィ」ではなくナーシャーイ(nāšāy)であるが、意味も「人」ではなく「人間の」(形容詞)である。原著付録の単語帳には“human (adj.)”とあるが、英語ではhumanで人間そのものをも意味するため勘違いしたのであろうか(なお括弧内のadj.はadjective「形容詞」の略語)。 

 それに関連して、文法用語の翻訳も不可解である。名詞活用の基本たる諸形態“absolute”, “emphatic”, “construct”が、16~17頁で「純然」「強調」「構築」と訳されているのに、18頁では「強調形」「絶対(独立)形」「連語(構成)形」と、最初二つの順番を入れ替えた(!)表の中で訳されている。動詞についても、23頁では「pael形」が「強意語幹 能動」、「aphel形」が「使役語幹 能動」とされているのに、27~29頁ではそれぞれ「強意語幹 受動①」「使役語幹 受動①」とされ、「ethpaal形」「ettaphal形」がそれぞれの②とされ、互いに食い違っている。なお動詞派生形の諸名称はpeˁalという動詞を例とした形で、れっきとした子音“ˁ”も含めて語根であるため、「pael形」ではなく「paˁel形」と、「aphel形」ではなく「aphˁel形」と、以下も同様に略さず書かねばならない。

 川口氏の書法に従えば「paáel形」などとなるが、そうすると母音が連続した妙な形に見えてしまう。これだけ取っても氏の転写法の不備が明らかだろう。また16頁でagreeを「同意」と、attributiveを「形容詞的動詞」と訳すなどの例は枚挙にいとまがなく(正しくはそれぞれ「一致」、「述語的形容詞)、ナシィ=人間の例および動詞派生形の例と併せて、英語で書かれた原著を生半可にすら理解できていない証左であると言わなければならない。また文法篇を通して、抄訳するのはよいが説明・注記が過少もしくは皆無で、かつ述べた通り質も高いとはいえないため、「古代シリア語を解明」(3頁)するという目的が達成されているかどうか疑問の余地は大いに残る。

 3章・4章で紹介される景教経典及び景教碑についてであるが、いずれも行間に訳語を逐語的に付すのみで、訳文はおろか形態・用法・統語的な説明は一切ない。文法部分を苦労して通読してからこれを読んでも益があるとは思えず残念である。

 5章で紹介される『アッダイの教え』に関しては訳文が載っているが、ところどころ構文を把握できず誤訳している。重要な一点のみ挙げよう。54頁に「また死人を復活させこの時代になされた大いなる不思議な奇跡について心の中で考えました」とあるが、定動詞“ šem‛et ”を解し損ねたのであろう。正しくは「また(彼は)死人を復活させました。あなたが行われたこれらの大いなる奇跡を私は聞いて、こう判断しました:」と次の文へ続く。

 次の文は、イエスが神そのものか、もしくは神の子である、という二者択一であるが、アブガルは川口が訳すように「……であるのか、または……であるのかと考えました」と曖昧に「思案している」のではない。二者択一は前述の「こう判断しました:」(sāmet bre‛yān)の中身であるから、この時点で神か神の子かの少なくともどちらかであると「確信をもって判断している」のである。

 なお註釈は51頁につく註4を最後に途切れており、そのことも不親切なのであるが、註が日本語としてまったく文意をなしていない。評者には、48頁註1から51頁註1まではPhillips による『アッダイの教え』の英訳に付けられているnote 1-8を直訳――というより機械翻訳――したものであるようにみえる(また48頁註3には英語版wikipediaを機械翻訳した文章がさらに補足されているように見える。逐一訂正するのも徒労だからしないが、一点、“Seleucid era”は「セレウコス時代」ではなく「セレウコス暦」である)。

 51頁註2は川口自身の註のようであるが、原文はシリアのことを話しているわけではなく、本書6頁で説明済みのことでもあり、必須の註とは言えない。いずれにしても註を参照すればするだけ混乱させられる状態となっており、肯定的には評価しがたい。

 最後の6章では『マタイによる福音書』1~8章がシリア語(西シリア文字、エストランゲロ、東シリア文字、角型アラム文字)、ヘブライ語、ギリシア語(+英語逐語訳)にシリア語からの和訳を付した形で掲載される。しかし同じ文章を掲載するのに、文字を4種類も並べる意義があるのだろうか。またヘブライ語及びギリシア語が併記されているが、シリア語文との関係や差異、語根の共通性やギリシア語の借用、あるいは両テクストの出所などが注記・解説されることは一切ない。この章には66~184頁という、全体の6割強の紙幅が割かれているが、偽らざる感想をいえば、本書が、ここに至る部分で、この長大な章を活用できる水準まで読者を導けているとは思えない。

 以上縷々記すことになったが、著者とてもシリア語そのものに関する邦語の書籍が皆無と言っていい中でその道筋を多少なりとも拓かんとしてかかる出版に至ったわけであろうし、その点は理解する。しかしながら、「おわりに」で「誤訳や誤字があれば訂正していきますので、ご意見をお寄せください」と書かれているところから最低限の良心を信じて申し上げれば、本書であげつらった誤りは、専門家となんらかの形で交流し、著者が抱く関心をめぐって情報交換と議論を重ねてきたなら当然回避できていた種類のものである。誤謬・誤訳・誤字を指摘する以前の話である。そういったわけで、書評という形で意見を申し上げる次第である。

 もっとも、ここまで否定的な評価を並べてきたことで、読者がせっかく抱いたシリア語や景教への関心ごと蓋をして離れていってしまったなら残念に思う。しかし最近では大学の講義や市民向け講座など、シリア語を本格的に学ぶ機会が他にまったくないわけではないと申し上げておこう。それと並んで、シリア語学習の道をいっそう明るく照らす邦語の書籍を、という課題は、評者を含む専門家の間に課せられたものとしたい。

(評者・砂田恭佑=大東文化大学文学部 歴史文化学科 研究補助員・講師)

【文献一覧】

・川口一彦『景教』が参照したとして表紙を掲載しているもの

Coakley, J. F. Robinson’s Paradigms and Exercises in Syriac Grammar. 6th ed. Oxford: Oxford Unicersity Press, 2013.

Payne Smith. J. 1999. A compendious Syriac dictionary: founded upon the Thesaurus Syriacus of R. Payne Smith. Eugene, Oregon: Wipf and Stock Publishers. 1999.

Phillips, George. The Doctrine of Addai, the Apostle: Now First Edited in a Complete Form in the Original Syriac, with an English Translation and Notes. Trübner & Company, 1876.

・それ以外の参考文献

Brockelmann, Carl. Lexicon Syriacum. Editio II. Halle: M. Niemeyer, 1928.

Muraoka, Takamitsu. Classical Syriac: A Basic Grammar with a Chrestomathy. With a select Bibliography Compiled by S. P. Brock. 2nd ed. Wiesbaden: Harrassowitz, 2005.

Payne Smith. R. Thesaurus syriacus. 2 vols. Oxonii, e typographeo Clarendoniano, 1879-1901.

Sokoloff, Michael. A Syriac lexicon: a translation from the Latin: correction, expansion, and update of C. Brockelmann’s “Lexicon Syriacum. Winona Lake: Eisenbrauns, Piscataway, NJ: Gorgias Press, 2009.

【3,300円(本体3,000円+税)】
【イーグレープ】978-4909170446

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