【書評】 『動物たちは何をしゃべっているのか?』 山極寿一、鈴木俊貴

 鳥たちの言葉を理解する鳥類学者の鈴木俊貴氏と、アフリカでゴリラと一緒に暮らしてその生態を明らかにしてきた動物学者、山極寿一氏の対談。動物の生態を知ることができて面白いのはもちろん、ヒトについても考えさせられる一冊となっている。

鈴木 高校生のころから野鳥観察が好きだったんですけど、20代の前半だったかな、長野県の森で、シジュウカラの鳴き声がとても多様なことに気付いたんですよ。シジュウカラは小さい鳥だからヘビやタカを警戒しないといけないんですが、見つけた天敵の種類によって鳴き声が違うんですね。ヘビなら『ジャージャー』、タカなら『ヒヒヒ』という風に。

 つまり、単に警戒の鳴き声を発しているだけじゃないんです。

 山極 シジュウカラは『ヘビ』や『タカ』を指し示す言葉を持っているんですね。

 鈴木 はい。というのも、天敵によって対処法が違うからです。タカが来たら隠れればいいけれど、アオダイショウが木を登ってきているのにじっとしていたら食べられてしまう。だから天敵の種類も伝えるんです。

 山極 なるほど。私の専門である霊長類だと、たとえばサバンナに住むサバンナモンキーたちも、同じように、見つけた天敵によって異なる鳴き声を発します。彼らの天敵はヒョウとヘビとワシなんだけれど、やっぱり相手によって逃げるべき場所が違うから」(Part1「おしゃべりな動物たち」)

 二人がフィールドワークを中心にすることには理由がある。野生の状態と動物園などにおける飼育下では生態が変わってしまうからだ。森の中ではおしゃべりなシジュウカラも、鳥かごの中ではまったく鳴かなくなる。ゴリラなど霊長類も同じで、それは、安全でエサにも困らない飼育環境下だと、鳴く必要が薄れるからだと考えられている。ゴリラには少なくとも20種類の鳴き声があるが、動物園で聞けるのは5種類ほど。そのため動物の言葉を研究するためには、野生で調べる必要があるという。

 だが一方で、言葉を理解しても、依然として謎のままの行動もある。例えば、集まって鳴く習性があるムクドリ。そうした謎も、対談の中で説明の糸口が見つかったりする。

鈴木 ほとんど研究されていないんですが、実は、鳥にも似た現象があるかもしれません。

 夕方、駅前の電線とか公園の木とかにスズメやムクドリが集まって、群れでずっと鳴いていますよね。『集まれ』という鳴き声だったりするんですが、もうみんなねぐらに集まっているわけだから、鳴く必要はないはずなんですよ。逆に、一斉に鳴くことで天敵を呼び寄せるリスクさえある。

 だから、あの行動は謎なんです。一カ所に集まることでエサ場や天敵についての情報を交換しているんだ、という『情報センター仮説』もありますが、それにしてもあんなに鳴く必要はないと思う。

 でも、今の山極さんの話を聞いて思ったんですが、もしかしたら歌っているのかもしれません。同調し、共感を高めて一体化しているのかもしれないですね。危険な夜に肉食獣などが近づいてきたら、一斉に群れで対応しなくてはいけない。そういった場面でも一体化することは重要だと思うんです。

 山極 たしかに、興奮や喜びを共有しているのかもしれないね」

 意見を交わすうちに、動物からヒトへ、現代人と言語へと話は展開し、二人の口からは文明論も語られる。

山極 その現代社会のもう一つの特徴が、言葉に依存していることですよね。

 ここまで話してきたように、言葉はたくさんあるコミュニケーション手段の一つに過ぎなかった。ところが、現代社会ではその地位が極端に高くなってしまっている。

 言葉は、コミュニケーション手段としては、非常に歴史が浅いんです。……

 鈴木 その通りだと思います。言語以外の意思疎通に、つい最近まで依存していたはず。

 山極 我々は言葉が生まれるずっと前から、サバンナの小さな集団で、歌ったり、踊ったり、見つめ合ったりしながらコミュニケーションをとってきた動物です。……言葉のおかげで集団のサイズは一気に大きくなって国家が生まれ、インターネットやSNSも作られた。しかし、進化的な時間軸で見ると、その変化は早すぎるんですね。一瞬です。私たちの心身は対応できていない。

 鈴木 心身の進化にはすごく時間がかかりますから、文化の進化が早すぎて、追いつけないんですよね。

 山極 ……心身は一体だから、現代の環境についていけないのは身体だけではなく、心も同じです」(以上、Part3「言葉から見える、ヒトという動物」)

 我々の心身がまだSNSやインターネットによる言語の洪水に適応できず、炎上させたり、様々な不適合を起こしたりしているという指摘は鋭い。

 あとがきで山極氏は新約聖書の言葉を引く。「はじめに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」――氏は、人間が言葉に依存し過ぎて、別のタイプのコミュニケーションを疎かにしたことが、人間による環境破壊の原因の一端ではないかと述べる。氏のいう「言葉」が聖書の「ことば」と同義かは分からないが、ヒトが原初的で本質的なコミュニケーションを取り戻すことが、賢く「ことば」や「言葉」と生きることにつながっていくのだろう。私たちは、いかにして文明の進化に適応していくべきか。同時に、原点に立ち返る必要性についても思いを巡らされる。

【1,870円(本体1,700円+税)】
【集英社】978-4087901153

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