【書評】 『最後の祈り』 薬丸 岳
世界で死刑廃止が進むなか、毎年のように死刑が執行されている日本。拘置所では死刑囚に対する教誨も行われている。2005年、少年法を題材にした『天使のナイフ』で第51回江戸川乱歩賞を受賞しデビューした著者が、教誨師を務める牧師を主人公に死刑囚と贖罪という難題へ挑んだ。
自らが犯した罪に苦悩し、教会の門を叩いたことがきっかけで牧師となった保阪宗佑。保坂は月に2回、受刑者の教誨を行うため、聖書と賛美歌の自動演奏機「ヒムプレイヤー」を携えて千葉刑務所に向かう。彼らにはさまざまな人生と事情、思いがある。一人ひとりに寄り添いながらLA級(犯罪傾向は進んでいないが刑期10年以上の重罪を犯した者)の受刑者と真摯に接する保阪だったが、彼には大切に思う女性・由亜がいた。彼女はかつて、保坂と恋人との間にできた実の娘だが、その事実を明かされていないため、保阪のことを「おじさん」と呼ぶ。
由亜から婚約者を紹介された矢先、妊娠中だった彼女は理不尽な殺人によって命を奪われる。犯人の石原は、他に2件の殺人も犯しており、間もなく逮捕されたが、ふてぶてしい態度で法廷に現れ、「若くて、さらに幸せそうな人間を殺したほうが楽しいでしょ」と、殺人の動機を供述。逮捕から裁判まで一貫して後悔や反省を微塵も見せず、死刑判決が下されると「サンキュー」と高笑いした。
「由亜を奪った石原のことが憎くてたまらない。由亜の無念を少しでも晴らしたい。
でも、心の片隅ではそれを望むことに煩悶している。
人間を裁くことができるのは神のみである――
人生の半分近く、その教えのもとに自分は生きてきた。
憎しみによって石原に復讐することを望むなら、自分はもうクリスチャンではいられない。ましてや牧師として人々に神の教えを説く資格もない」
懊悩しつつも保坂は由亜の養母に懇願され、自らの立場と意図を隠して、死刑囚が収容される東京拘置所の教誨師となる。石原は、自分を捨てた母や姉がクリスチャンになったと聞いてキリスト教に興味を持ち、教誨を願うようになる。そして保坂は、娘を殺した犯人と対面することとなった――。
著者は出版社の書籍紹介で、以下のように述べている。
「『死刑になりたいから人を殺した』
『誰でもいいから人を殺したかった』
世間で無敵の人と呼ばれる凶悪犯には心がないのか。いや、そんなはずはないという祈りを込めました。
ぼくの作品の中で最も重く苦しい物語です。どうか覚悟してお読みください」
(https://www.kadokawa.co.jp/product/322009000359/)
罪の意識を持ち、受刑者の精神的救済のために尽くしてきた保坂と、罪悪感の欠片も持たない殺人者、復讐心を抱く牧師と、教誨を通して自分に向き合い始める受刑者、「罪」と「贖罪」をめぐる息の詰まる対話の果てに、物語は思わぬ結末を迎える。
最後の祈り、石原の最期の「贖罪」は何だったのか――。本作には『天使のナイフ』のような、ミステリーとしてのどんでん返しこそないが、それを止揚した逆転劇が丹念に描かれている。死刑と教誨を扱いながら、祈りと贖罪というテーマに踏み込んだ本作は、初めて著者の本を手に取る読者だけでなく、往年のファンをも唸らせるはずだ。
【2,090円(本体1,900円+税)】
【KADOKAWA】978-4041109939