【雑誌紹介】 教会の中の<硬直性> 『福音と世界』2月号

 特集「心の時代と宗教」。家山華子(日本基督教団箕面教会牧師、関西学院大学神学部非常勤講師)の「アダルト・チルドレンの生きづらさから教会を問う」。

 「宗教二世が抱える生きづらさに、関係性の側面からアプローチするのが、アダルト・チルドレン(AC)という概念である。筆者は、教会がACの生きづらさに真剣に向き合う必要があると考えている。なぜなら、ACと自覚しているか自覚していないかにかかわらず、家族や集団内の関係性において、ACの生きづらさの要因である支配――被支配の構造が生じ、様々なところで影響を与えていると考えられるからである。教会にかかわる者は、このことに自覚的である必要がある」

 「教会という集団は、『こうあるべき』といった<硬直性>によって、そこに関わる人の心に傷を与えてしまう可能性があることに、敏感である必要があろう」

 「『男性』『女性』『牧師』『牧師のパートナー』『牧師の子ども』というカテゴリーで人を見て、『こうあるべき』という硬直したルールを押しつけてしまう教会の実態が見えてくる。それによって黙って傷ついている人がいる以上、教会は意識的に変えていく必要がある」

 「教会の中で牧師は『父なる神』を代表し、牧師の妻は教会の『お母さん』、信徒は『神の子ども』と見なされる家父長制的家族観が反映した構造を固定化し、硬直したものになっていないだろうか。牧師として神に召されるのは、父親イメージをもつ男性とは限らない。一人一人多様な個性をもった姿で神に召され、神に仕える働きをする。牧師のパートナーもそれぞれに異なる賜物をもつ。……子どもや若者は、教会の中の『こうあるべき』といった硬直した見方を敏感に感じとるものである」

 「個としての牧師が尊重されること、つまり、教会の中においても牧師の役割と個としての牧師の両方を柔軟に生きることができればと考える。個としての牧師は様々な感情をもつ人間である。喜び、笑い、楽しむと共に、悩み、悲しみ、疲れ果ててしまうこともある。個としての牧師を主張することは、無責任に役割を放棄するということではない。牧師は『神の人』、信徒は『神の子』と呼ぶことに現われるような、教会がもつ家父長制的権力構造から自由になり、牧師と信徒がより対等な関係性を築くためには、個としての牧師理解が、一つの鍵となると考える」

【660円(本体600円+税)】
【新教出版社】

書籍一覧ページへ

  • 聖コレクション リアル神ゲーあります。「聖書で、遊ぼう。」聖書コレクション
  • 求人/募集/招聘