総合雑誌『情況』２０２３年秋号の特集は「メンタルヘルス」。さまざまな分野の登壇者による共同討議「政治にメンタルヘルスは不要なのか」のほか、カトリック信徒と神父へのインタビュー２本、メンタルヘルスに関連した寄稿、連載が収められ、読みごたえのある一冊となっている。

　「ハイデガーとラカン、ふたたび――書面インタビュー」では、カトリック信徒でラカン派精神分析家の小笠原晋也氏に、同誌編集長の塩野谷恭輔氏が聞き手となってインタビューを行っている。塩野谷氏はかつて約２年間、小笠原氏のセミネールに参加していたという。ジャック・ラカンはフランスの哲学者、精神科医、精神分析家。

　「周知のように、精神分析の創始者フロイトはユダヤ人である。そして、ラカンは、ユダヤ教に精神分析の可能性の条件のひとつを見ている――ユダヤ人たちがヘブライ語聖書のテクストをとおして神のことばを聴きとる努力をし続けてきた限りにおいて。実は、その努力は、ハイデガーもし続けてきたことである——如何に彼に『反ユダヤ主義者』のレッテルが貼られようと。実際、彼は、古今の哲人および詩人のテクストをとおして『存在のことば』を聴きとる努力をし続けた。……

　わたしは常々『精神分析は良いクリスチャンを作り得る』と言っている。それは、もし仮に神学生たちが神学校で学ぶ数年間に精神分析をも受けていたならば、聖職者による児童に対する（あるいは、ときとして、成人女性に対する）性的虐待は防止し得ていたであろうからだけではない。それだけでなく、より本質的に、精神分析は、先ほども言ったように、 神のことばを聴きとろうとする態度を養うからである。我々の家の本当の主人（Ｈｅｒｒ）は、当然、主イエスキリストである。神は、我々の存在の中核に住まっており、そこから我々にいつも語りかけてくる。我々は、そのことばに耳を傾け、それに聴き従えばよいだけである」

　続いて、「エクソシズム（悪魔祓い）とメンタルヘルス」では、エクソシストとして公式に任命を受けた、カトリック豊島教会主任司祭の田中昇神父にインタビュー。昨年、田中神父の論文「カトリックの祓魔式」が『南山神学』に掲載された。本インタビューで神父は、教会法や神学の議論に触れつつ、精神医療としてのエクソシズムについて語る。

　「今は悪に関しての我々の認識が非常に問われている時代だと言えます。『悪魔なんていない』と言う人が、神父でも信者でも沢山います。いやいやいや、と言いたいです。この鈍感さ、霊的健忘症になっている状態は危ないと思います。ガブリエル・アモルス神父も、『罪とか悪なんて……（自分は関係ない）』と言っている段階でかなりレッドゾーンに入っていると書いています。罪や悪を的確に認識することは、信仰を強めるという意味では間違いなくプラスなんです。それがこの数十年曖昧になってきている。信仰がほんわかしたものになっている。『マザー・テレサ……』や『神の愛とゆるし』みたいなタイトルの本が売れていますよね。私はそれ自体は否定しませんが、でも情緒だけの愛や優しさで済むのなら世話はないわけです。それなら何もキリスト教である必要もありません。教会に関係のあるメディアの中にも、福音を一般人にもわかりやすいようにと都合よく中途半端に歪めている、いわば紛い物のような情報があります。何の回心も、成長も発展もなくても、あなたはそのままでも大丈夫だといって、根本的な問題を何も改善しないで放っておく麻薬のような言葉も聞かれます。ただ、本来のキリストの示した教えは、人間が神の意志に従って生きること、つまり罪と悪と決別し真理と正義に向かって生きることのうちに真の神の慈しみや愛が見えてくるんです」

　書評では、寄川条路編『キリスト教学校の「犯罪」：明治学院大学〈教科書検閲〉事件』（社会評論社、２０２３年）が取り上げられている。「事件」とは、２０１６年、同大学教養センターの寄川教授が倫理学の授業で「大学の名誉を棄損する不適切な教科書」を使用したとして、解雇されたことをめぐる一連の騒動を指す。当事者である寄川教授が執筆しているものの、大学側の主張についても客観的事実を記すことに徹しているため、「著」ではなく「編」とされている。本を読んで、「これは明治学院大学の歴史としてしっかり保存されるべき本だ」と考えた評者（同大学３年）が、この本を大学図書館にリクエストしたところ、「購入しない」旨の返信メールが届いたという。

　「売れるもの」「ウケるもの」に最高の価値を置き、市場原理と世情に調子を合わせて立ち回るメディアが跋扈する中で、本誌には、聞こえのいい言葉どころか、目の覚めるような言葉が並ぶ。こうした言論空間に表れる批判精神が社会の一角を支えている。