【書評】 『死生観を問う 万葉集から金子みすゞへ』 島薗 進

 宗教の教義に基づく死生観が道徳と心の平安のよりどころとなってきたことは確かだが、そうした伝統宗教の信仰が現代人にそのまま受け入れられているかといえば、答えは否だろう。多くの日本人は人生のさまざまな機会――例えば、墓参りや、葬儀に参列する時に、どんな気持ちで手を合わせるべきか考え込んでしまう。教義的な死生観はしっくりこないし、かといって自分自身の死生観は言葉にしにくいと感じる人も少なくない。身近な人の死や、自身が生死の狭間に直面する際にも、どう対処すべきか戸惑うことが多い。

 本書は、日本人が歴史的にどのような死生観をもってきたのか、古代から現代までの生活文化と文芸の中から死生観に関連する表現を取り上げ、現代人の死生観を問い直す手がかりにしようとする。宗教学者である著者が、月刊誌『一冊の本』に23回にわたって連載した内容をまとめた。

 「『ルバイヤート』が『虚無』や『無駄』について語るのを見たが、『空しさ(ヘブライ語の「へベル」)』についてであれば、旧約聖書のなかにも目立った例がある。『コヘレトの言葉』である。冒頭に『ダビデの子、エルサレムの王、コヘレトの言葉』とあり、あたかも王が語ったかのように見えるが、これはフィクションとされている。『著者はむしろ、専制君主に支配されている無力な人間として理解されるべきである』(山内清海『「コヘレト」を読む』聖母文庫、二〇一三年、一六ページ)という。

 『コヘレト』は『集める者』を意味し、集会をつかさどる人、説教者ということにもなるので、この書はかつては『伝道の書』と訳されていた(小友聡『コヘレトの言葉を読もう』日本キリスト教団出版局、二〇一九年、一一、一九ページ)」(第2章 無常を嘆き、受け入れる)

 「コヘレトの言葉」には、何を行っても過ぎ去れば無に帰するという全面的な空しさとともに、理にかなわないことが起こることの空しさも説かれている。だが、この「コヘレトの言葉」は「ルバイヤート」のように神の実在を疑うものではないと著者は述べる。「疑いに陥るぎりぎりのところで信仰を選び、日々の生を大切にせよと説いているようにも受け取れる」と。矛盾した内容が共存する難解なテキストではあるが、無常を嘆きつつそれを受け止める心情を表現する文芸領域が古代からあり、日本にも芭蕉の『奥の細道』や『野ざらし紀行』にそのような表現がみられるという。

 「死生観」という言葉がよく用いられるようになるのは、1904年に加藤咄堂の『死生観』(井冽堂)が刊行されて以来であるとされる。この時期に「死生観」が問われるようになった背景には、「煩悶青年」の登場がある。「煩悶」という言葉が流行するきっかけとなったのは、第一高等学校の生徒、藤村操の自殺である。

 「世界と人生の『不可解』に向き合い、自らを『煩悶』に追い込み、『死を選びとること』を一つの選択肢として意識する、このような若者が登場した。すべてが無に帰することとしての死、そのような死を意識することと、生きていく根拠が見出せないという苦悩がつながって、自殺が選ばれる。この『哲学的自殺』は近代という時代の精神性の新たな位相であり、宗教や伝統的価値観から切り離され、存在根拠が失われたと感じる人間の苦悩と関わりがあると捉えられた。

 『煩悶』とはそのような時代の青年が直面する深刻な何かとして用いられるようになった語である」(終章)

 藤村操を一高で教えていたのが夏目漱石で、漱石は藤村を叱責したことがあった。その漱石が、自らの死生観を表出するような文章を発表するようになるのは1910年のこと。本書では、漱石の闘病とその間に身の回りで起こった数人の死について、漱石がどのように述べているのか丹念に追い、「生存競争がもたらす孤独・煩悶・神経衰弱に苦しむ人々を描くのだが、それを死と死の彼方にあるものに照らして描くという考えがあったという推察も成り立つのだ」と考察する。

 流行歌や童謡に「うき世」や「うき世」の悲しみ、別離の悲しみが歌われることも多い。

 「カトリックの医師で原爆後に白血病で亡くなった永井隆のエッセイ集の表題をとったサトウハチロー作詞『長崎の鐘』(一九四九年)はキリスト教の雰囲気を取り入れた歌詞だが、『うねりの波の 人の世に』とあるのはうき世のイメージに通じている。……美空ひばりが歌った秋元康作詞の『川の流れのように』は悲しみが主調音ではないが『うき世』の主題と関わりがあるとは言えるだろう。人生全体を振り返ってふるさとを思うことと、川の流れをイメージすることが結びついている。苦しみ悲しみもある人生を感慨深く俯瞰するものだ。死を迎える前に聞き直したい歌としてあげられることの多い歌である。

 このように現代の流行歌まで見てくると、そこには俗なるものに身を浸していながら、死のかなたを遠望するような歌がしばしば見られるようだ。いや、さらに、それによって死を受け止める心構えが促されるような歌や音楽もあることに気づかされる。それは、日本の文化伝統という枠を超えて広がっていくようだ」(第4章 無常から浮き世へ)

 誰もがいつかは迎えるものであると知りながら、今日や明日とは思っていない「死」。どうしても避けることのできない宿命でありながら、万全に備えるノウハウは存在しない。死を遠望し、あるいは日々見つめながら、人は生きていくしかない。オールマイティな答えはなくとも、これまで人類が蓄積してきた手がかりはある。どんな死生観を持って生きるかは人生最後の課題であり、同時に生命を輝かせるものでもある。

【1,870円(本体1,700円+税)】
【朝日新聞出版】978-4022631282

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