【書評】 『ブッダという男』 清水俊史

 ブッダとは何者か。どのような思想を持った人物だったのか。とかく〝偉大〟な人物は、感動的な物語がつけ加えられたり、信奉者の言説で彩られたりして、現実と乖離した伝説の人になってしまいがちである。宗教の創始者であればなおさらだ。本書は初期仏典を批判的に考察し、神話的装飾や後代の加筆を取り除くことで、歴史上のブッダ、いわば「史的ブッダ」を復元しようと試みる。

 著者は、①ブッダは平和主義者であった、②ブッダは業と輪廻の存在を否定した、③ブッダは階級差別を否定し、平等思想を唱えた、④ブッダは女性差別を否定した、という四つの言説を再検討し、そのいずれもが初期仏典からは導き出せないことを示す。

 仏教は慈悲の教えであると多くの仏教者が口をそろえるが、初期仏典に残されたブッダの言行を見ると、必ずしもそうとは言い切れない。確かにブッダは殺生を禁じているが、弟子のアングリマーラは大量殺人者であったにもかかわらず出家が許され、世俗的な罰を得ることなく悟りを得ている。ブッダは王に対して戦争の無益さを説くが、戦争そのものを止めようとはしていない。それどころか、征服行為に助言してしまうといった記述もある。それらはブッダの生命観や倫理観が、悪業・善業によって来世が決定するという業(カルマ)の法観念によって基礎づけられているからに他ならない。そのため、ブッダの慈悲が犠牲者たちに向けられることはない。なぜなら現世での理不尽な死は、過去世に犯した悪業の報いだからである。

 「このような結論に多くの読者は納得できず、場合によっては不快感を覚えるかもしれない。しかし、現代人に耳あたりの良い教えを説くことが、ブッダの仕事では決してない。もちろんブッダは、殺生や戦争を積極的に是認したわけではなく、不殺生の重要性を説き、戦争の無益さを随所で語っている。しかし現代の価値観からすれば、ブッダは生命の尊貴を重んじているとは言いがたい。ブッダが平和主義者であるというような言説は、あくまで解釈の結果であることを自覚しなければならない」(第3章 ブッダは平和主義者だったのか)

 「ブッダは平和主義者であった」などの言説は近現代に考え出された解釈であって、実際に生きた「歴史のブッダ」とは異なる、「神話のブッダ」とでもいうべき一種の理想化された像である。

 「ブッダは偉大な人物であったに違いないという先入観を、古代や中世のみならず、現代の仏教者も共通して抱いている。古代や中世の仏教者たちが、当時の時代性にあわせて『一切智者であるブッダは、すべてをお見通しである』、『ブッダは超能力を使う』などと神格化したのと同様に、現代の仏教者たちもまた、『歴史のブッダ』を構想しようとするなかで、近現代的な価値観と合致するように、『平和主義者だった』、『業と輪廻を否定した』、『階級差別を否定した』、『男女平等論者だった』と神格化してしまっているのである」(第7章 ブッダという男をどう見るか)

 教祖を〝理想的現代人〟として復元するという点では、近現代のブッダ研究とイエス研究には奇妙な一致が見られると著者は指摘。ブッダやイエスが生きた時代に、現代的な意味での平等主義やフェミニズムといった価値観はなかったにもかかわらず、そのような価値観の先駆者としてブッダやイエスを位置づけようと試みられることがある。そうした試みは現代人にとって魅力的ではあるが、それは歴史から離れた解釈になる。

 「近年においては、LGBT問題の解決を聖書や仏典のなかに求めようとする動きが活発化している。だが、はるか古代に成立したテキストが現代的価値観の正統性を積極的に裏づけることは少ない」(参考文献)

 仏教学者たちが発見したブッダは「歴史のブッダ」ではなく、近現代の価値観に合わせて構想された「神話のブッダ」であったとする一方、著者は「神話のブッダ」の意義を認める。なぜならそのような「神話のブッダ」が人々に信仰され、歴史に影響を与えてきたからだ。例えば、初期仏典によればブッダは階級の区別や貧富の差を自業自得の結果であると考えており、ある意味階級差別を容認していたわけだが、近現代に階級差別を否定した平等主義者としての「神話のブッダ」が生み出され、それがインドのカースト制度撤廃に貢献したというケースがあった。さらに、インドでは仏教が滅んだとされていたが、「神話のブッダ」の教えに帰依する人たちが増え、仏教が再興した。

 「インド国憲法の草案を書き上げたビームラーオ・アンベードカル(一八九一~一一九五六)は、身分制度の最下層である不可触民として生まれ、差別撤廃のためにヒンドゥー教を批判する原動力としてブッダの教えに根拠を求めた。……このような解釈された『神話のブッダ』こそが、インドにおいて滅びたはずの仏教復興につながった。アンベードカルは、五〇万人の不可触民らとともに仏教に改宗し、これが現在インドに八〇〇万人以上いると言われる新仏教運動の母体となっている」(第5章 ブッダは階級差別を否定したのか)

 アンベードカルが構想した、平等主義者という「神話のブッダ」は、歴史上一度も存在したことがなかったが、間違いなく現実世界を動かす原動力になった。「このように考えるならば、古代から現代に至るまで『歴史のブッダ』ではなく『神話のブッダ』こそが、我々にとって重要なのであり、必要とされてきたのである」と著者は述べる。

 本書で繰り返し指摘されているとおり、ブッダ研究とイエス研究、神話のブッダと神話のイエスの議論には重なる部分が多い。大切なのは、歴史のブッダ・イエスと神話のブッダ・イエスが異なることを認識し、かつそれぞれの意義を認めることだろう。本書の分析手法がイエス研究に応用できることは言うまでもないが、同時に対象を知らず知らずのうちに理想化し、自らの願望を代弁させてしまっていないかという自戒もまた、重要な教訓である。

【968円(本体880円+税)】
【筑摩書房】978-4480075949

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