【書評】 『「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド』 熊代 亨

 好きなキャラクターや芸能人を応援する「推し活」は、ただの流行現象ではなく、人生を左右するほどの重要度を持つものである。なぜなら「推し活」によって承認欲求を満たし、アイデンティティの問題を解決することで人は幸せになるからだと著者はいう。さらに、「推し活」で幸せになるのは一人ではない。応援される方も勇気づけられたり、モチベーションを分けてもらえたりする。つまり自分自身の心理的な充足だけでなく、推される側をもエンパワーするのが「推し」「推し活」なのである。

 これまでも現代人の社会適応とサブカルチャーの関係を論じた著書を上梓してきた現役の精神科医が、本書では「推し」を出発点に、その背景にある欲求を心理学の知見をもとに解きほぐし、現代社会ならではの心の充足の難しさを解説。どのようなスタンスで「推し」と向き合うべきか、また上手に「推す」ためのポイントは何であるかを指南する。

 「『推し』とは、何かを他人にすすめることを意味する『推す』という言葉の名詞形です。そうしたわけで、『推し』とは他人にすすめられる人物やキャラクター、好きなキャラクターであるだけでなく、誰かに対してその気持ちを伝えることができ、さまざまなかたちで応援したいと思える人物やキャラクター、といった意味も含んでいます」(第一章 承認の時代から「推し」の時代へ)

 もともと「推し」は、「推しメン」などアイドルファンの間で使われていたが、今ではより広い分野で使われる言葉となった。似た言葉としては「萌え」があるが、「推し」と違って、他人に勧めたり、大勢で一人のキャラクターを応援したりするという意味合いが希薄だ。「推し」と「萌え」は、「好き」という気持ちは共通しても、その気持ちが第三者に対して開かれているか否かという点で異なる。

 著者は「推し」の効用を挙げる一方、過度な「推し」が問題になることもあると釘を刺す。「推し」のために後先を考えずに投げ銭をしてしまったり、集団による「推し活」が政治性を帯びる場合があったりするからだ。時には対立や衝突を生むこともある。そうした点には十分留意すべきだ。

 第二章では「推したい気持ちの正体」として、その背景にある心理に迫る。鍵となるのは承認欲求と所属欲求だ。これは欲求段階説で知られる心理学者マズローが使った用語である。ここに精神科医コフートのナルシシズム(自己愛)の研究をかけ合わせ、以下のように説明される。

 「コフートは、心理的な充足体験をもたらしてくれる対象、ソーシャルな欲求を充たしてくれる対象を、まとめて自己対象と呼び、それを主に鏡映自己対象と理想化自己対象のふたつに分類しました。……(鏡映自己対象とは)鏡を見て自分自身に惚れ惚れしているナルシストにとっての鏡のように機能する対象、自分に惚れこませてくれたり自分に値打ちがあると教えてくれたりするような対象のことを指します。たとえば自分のライブのために集まってくれたお客さん、自分が魅力を持っていると思わせてくれるような素敵な異性や友達、SNS上で『いいね』をつけてくれる人々、などは鏡映自己対象のわかりやすい例でしょう。……マズローの承認欲求/所属欲求との比較でいえば、鏡映自己対象は承認欲求を充たしてくれる対象で、理想化自己対象は所属欲求を充たしてくれる対象(そして推し活の対象)とみてだいたい合っています。……コフートはそうした自己対象をとおして心理的に充たされる体験、彼風にいえばナルシシズムが充たされる体験のことを自己対象体験と呼びました」(第二章 推したい気持ちの正体)

 ナルシシズムに関しては、以前は病的とみる傾向があったが、現在では当たり前とみるのが主流となっている。鏡映自己対象も理想化自己対象も、コフートによればどちらもナルシシズムを充たしてくれるもので、適度な幻滅を通してナルシシズムは育っていくとされる。その〝旬〟の時期は幼少期だが、現代の家庭では子ども時代に親以外の自己対象に出会いにくく、ナルシシズムの成長が難しくなり、その結果、承認欲求や所属欲求を満たすのに不慣れな人が増えているという指摘がある。

 とはいえ、それを嘆いてばかりいても仕方ないので、現代社会のなかでもナルシシズムを多少なりとも成長させ、自分の幸福戦略に組み込むことができないものかと著者は考えた。そして思い至ったのが「いいね」と「推し」だ。「いいね」は承認欲求を充たし、「推す」ことは所属欲求を充たす。だが、どちらかだけに偏ると片翼だけの飛行機のように問題を引き起こす危険性をも含んでいる。人には「推す」ことも「推される」ことも大切で、ディスプレイの向こう側だけでなく、こちら側でも自己対象とうまく付き合い、短期的にも長期的にもナルシシズムを充足させていくのが望ましい。

 その具体的な方法として、著者は日常のあいさつや礼儀作法を挙げる。

 「日常のなかで承認欲求を充たす、ひいてはナルシシズムを充たす手段のなかには、あまりにも当たり前になってルーチン化しているものもあります。挨拶をすること、礼儀作法を守ることは、学校や職場のマナーのように語られていますが、同じ場所で学ぶ者同士、働く者同士の間で承認欲求を充たし合う、あるいは仲間意識をつくって所属欲求を充たし合うためのルーチンとしてはよくできています」(第四章 「推し」をとおして生きていく)

 ナルシシズムの充足、言い換えれば承認欲求や所属欲求を満たすことは何歳になっても必要で、健康なメンタルヘルスを保つ上でも大切なこと。「人間は、他者と自分とが一体感を感じられる瞬間、ソーシャルな欲求を充たせる瞬間がないとやっていけないよう、たぶんつくられているのでしょう」と著者は述べる。

 ところが、高齢になってからナルシシズムを充足させることは若いころより難しい。加齢に伴う容姿・健康状態の衰えや、社会的立場の変化もさることながら、高齢者には自己対象の喪失体験、すなわち、友人の死、伴侶の死などがつきまとう。自己対象の死は、自分自身のナルシシズムの生態系の一部を喪失させるものにほかならない。「親しい人の死とは、亡くなった人の死を悼むに加えて、自分自身にとって必要不可欠だったはずの自己対象の喪失をも悼まなければならない体験」である。

 願わくは高齢になっても維持できる人間関係を若いうちから築き、互いに自己対象化(大切に思い合い)しながら困難を乗り越えたいものである。本書が送る「良く推し、良く推されて、良い人生を」とのエールは、迷える現代人の心に刺さる。

【1,760円(本体1,600円+税)】
【大和書房】978-4479394198

書籍一覧ページへ

  • 聖コレクション リアル神ゲーあります。「聖書で、遊ぼう。」聖書コレクション
  • 求人/募集/招聘