【書評】 『キリスト教美術をたのしむ 旧約聖書篇』 金沢百枝

 西洋の絵画を見る際、キリスト教の知識が役立つことは自明だが、よくある入門書は聖書を読んでひと通りの知識がある者には物足りないし、専門書に手を出すと途端に難解になったりする。本書は新潮社トンボの本ウェブサイトでの連載に加筆修正し、書き下ろしを加えたもの。著者は東京大学大学院で理系と文系の二つの博士号(理学、学術)を取得した美術史家で、これまでもロマネスクなどキリスト教美術を平易な言葉で紹介してきた。本書でも、学的知見をふんだんに織り込みながら、会話のような筆致でキリスト教絵画を解説し、「深み」と「たのしみ」の両方を味わわせてくれる。

 創世記に書かれたノアの洪水の話は広く知られ、絵画に描かれることも多いが、それには理由がある。

 「ノアの箱舟と大洪水は、旧約聖書の数ある主題の中でもよく描かれるテーマです。なぜなら大洪水は、なぜなら大洪水は、『洗礼』の予型(旧約聖書その他の物語の中に新約聖書の事柄・人を予め見る考え方)。堕落した世界を一新する『洪水』と、罪を清めて生まれ変わるというキリスト教の『洗礼』は、『水』でつながっているからです。さらに、原初の世界は『水』で滅ぼされ、現在の世界は、来るべき『世界の終末』に『火』によって滅ぼされると旧約聖書の預言書に記されています。箱舟は、魂の滅びから人を救う『教会』の象徴でもあるのです。

 戒めとして地獄の情景が克明に描かれるのと同様に、大洪水で死にゆく人々のようすも強調して描かれました」(15 新しい世界:ノアの箱舟と大洪水1)

 ミケランジェロのモーセ像に角が生えていることは、観光用のガイドブックでも簡単に紹介されているが、本書ではその理由とともに他のモーセ像との違いも解説する。

 「じつはモーセの『角』は、聖書の誤訳とされています。『出エジプト記』第34章29節『額の肌が光を放っている』という一節で使われるヘプライ語の『光を放つ』という意味の『カーラン』は角(ケレン)と子音が同じ。ラテン語に訳すとき、〈cornuta(角が生えた)〉としたため、モーセ像には角が描かれるようになったのです」(25 角の生えたモーセ:モーセの生涯1)

 ギリシア語訳聖書ではそうした誤訳がなかったため、ギリシア語訳聖書が読まれた古代末期の図像にはモーセの角はないという。角のあるモーセが登場する最古の作例は、11世紀初頭のイングランド写本。ラテン語ではなく自国語に翻訳された聖書が使われたイングランドでは、くだんの箇所を〈gehyrned(角の生えた)〉と記したため、角のあるモーセが多く描かれたということだ。

 イスラーム教を含むアブラハム宗教全体の美術を参照している点も他書と一線を画す。

 「キリスト教やユダヤ教だけでなく、イスラーム教でも賢王として愛されるソロモンには、民間伝承が数多く残っています。『ソロモンの指輪』もそのひとつ。天使から授かった魔法の指輪の力によって、ソロモンは動物、精霊、風や水、悪魔さえ自在に操ることができました。神殿が素早く完成したのも、超自然的な力を駆使したからとされています。図31-1はペルシャで描かれた細密画。理想の王であり、預言者でもあるソロモン(スレイマン)の玉座には、天使や鳳凰、猛獣や悪魔までが集まっています」(32 シェバの女王と指輪:ソロモン)

 アブラハム宗教全体を見渡すと同時に、旧約世界と新約世界の間に橋をかけ、作品を残した人々に思いを馳せさせてくれるのも本書の特長。神の言葉に不従順だったヨナが大魚に飲み込まれて改心し、大都市のニネベに行って宣べ伝える物語も、ストーリーを平易にたどった上で、ヨナ書の最後にある神の言葉、「それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネペを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから」を紹介して、以下のように綴る。

 「『ヨナ書』は、神のこの言業で終わります。その後のヨナがどうなったか、聖書には記されていません。ヨナの墓は各地にあり、ユダヤ教徒やイスラーム教徒の巡礼者を集めているそうです。……

 ニネベを救った神はユダヤ人だけの神ではない、その愛はすべての民に注がれている――その伝承は、キリスト教がローマ帝国中に広がりつつあった黎明期のキリスト教徒にとって、たいへん重要でした。古代末期の墓碑やカタコンベなどに、ヨナを描いた多くの作例が残ることはすでに述べた通りですが、わたしがとくに好きなのは、ヴァチカン博物館にある1枚のガラス絵です [図35-3]。……

 キリスト教徒はヨナの物語を『救済』と『復活』の象徴としますが、ユダヤ教徒にとっては『改俊』の物語です。神に逆らったヨナは大魚の腹中で改心したからこそ助かり、ニネベの町は……神罰をまぬがれた。ユダヤ教で最大の祭のひとつ、ヨム・キプル(贖罪の日)の午後の礼拝では、『ヨナ書』が読誦されるのが習わしになっています。……

 『クルアーン』にも、短いけれど、ヨナ(ユーヌス)の物語があります。話の大筋は同じですが、細部がことなります。ヨナを乗せた船は嵐に遭うのではなく、不思議なことにいきなり動かなくなってしまうのです。……ヨナが籤を引きあてて海に投げこまれ、大魚がごっくん。『もしあれがつね日頃(アッラーを)讃えていなかったなら、人々が喚び起される(復活の)その日まで、あのまま(魚の)腹の中に留っていなければならなかったであろう』(『コーラン』〈下〉井筒俊彦訳、岩波文庫、43頁)という記述から、神がヨナを助けるために大魚に呑みこませたのではないことがわかります」(36 瓢箪棚:ヨナ2)

 なじみの物語であっても、光を当てる角度を変えると別の様相で見えてくることがある。ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教がそれぞれどう聖典の言葉に向き合い、作品を創ってきたかを知ることで、一方からの光では見えていなかった点に気づく。一般書ではあるが、豊富な図版には注で写本番号がつけられ、次世代の研究者の助けになるよう工夫されているのも有用だ。研究書か、それとも一般向けの本かというボーダーを軽やかに越え、キリスト教美術をたのしむ旅へと読者を誘う1冊。

【3,850円(本体3,500円+税)】
【新潮社】978-4103554110

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