【書評】 『われら主の僕 リベラルアーツの森で育まれ』 ICU伝道献身者の会
ICUの森で育まれた伝道者たち
日本のキリスト教人口は一貫して約1%と言われます。しかし人数面での小ささに比して、社会や文化への影響は決して小さくありません。数多くあるキリスト教主義学校がその証左ですが、とりわけICU(国際基督教大学)の存在は象徴的と言えます。
ICUはアメリカ型リベラルアーツカレッジを目指し、日米のキリスト者を中心とする人々の寄付によって戦後建てられました。日本の諸大学の中では際立ってアメリカナイズされているのは確かです。しかし「I(国際)」に込められているのは、英語やアメリカなど外国文化への関心だけではありません。戦争の惨禍をもたらした過度なナショナリズムへの反省が含まれています。
そして過度なナショナリズムを乗り越える契機となるのが「C」つまりキリスト教。神への信頼は国家への忠誠を超えるからです。ICUの草創期、キリスト者学生は入学時には1割、しかし卒業時には2割になっていました。それはキャンパス内に住み、時に学生たちを家に招くなどしてきた、キリスト者教員との交流が大きかったようです。
そのような人格的影響は、少なからぬ学生たちの人生を伝道献身へと導きました。本書はそのような人々や教師の文章を集めたもので、寄稿者は50代半ば以上の70余名。卒業生合わせて3万人程度という規模を考えると、圧倒的に多くの「献身者」を生み出してきたことになります。
元々キリスト者で、教員や学生の感化によって教会教職の道に進んだ人々。嘲るような態度でキリスト教に向き合いながら、結局飲み込まれていった人々。キリスト教の深さ広さ、そしてキリストの愛に触れ、教育や開発、和解のために各地に散っていた人々。原理主義的な教派出身でICUの「リベラルなキリスト教」を批判しながら、ついにミイラ取りがミイラになった人々(これは書評子自身の経験でもあります)。
一読して心に浮かんだのは、「おびたただしい証人の群れに囲まれている」(ヘブライ12章1節)という聖書の言葉です。鬱蒼としたICUの森で、教員・学生がキリストを軸として人格的に出会い、練り上げられ、そして教会や社会に遣わされていきました。
本書にはICUの教師たちの文章も含まれています。その一人が、20世紀を代表する神学者でありながら伝道者としてやってきたエーミル・ブルンナー。その神学思想は「出会いとしての真理」で知られています。キリストという真理は、私たちの出会いの中で見出され、それを分かち合うようにと促す。本書はそのことを証ししています。
(評者・徳田 信=フェリス女学院大学宗教主事)
【2,310円(本体2,100円+税)】
【新教出版社】978-4400517696