【雑誌紹介】 贈与の本質は「つながり」 『福音宣教』7月号

 月間テーマ「つながりを創るために(2)」。格差をテーマにブラジルなどで調査研究を行っている奥田若菜(神田外語大学外国語学部教授)による「たくさんの、ささやかな贈与」。

 「日本では、困窮する貧困層の存在が見えにくい。日本は先進国のなかでも貧困率が高く、困窮する子供も少なくない。しかし、格差社会であるにもかかわらず、そのことが共通認識になっていない。一昔前の『一億総中流』という言葉はもうあまり知られていないが、依然として『みんなほどほど』という考えが一般的である。大学の授業で日本の貧困率を予測してもらうと、実際よりも大幅に低い数字が出てくる。皆が同じような教育を受け、同じような消費活動をし、同じような行動をすることを前提としている。実際にはそうでないにもかかわらず。困窮する他者が見えにくいのが日本社会だ」

 「連帯に必要なのは、『あなたと私は違っている』と認めることではないだろうか。違いは認めたうえで、『そしてそれは優劣ではない』ことの確認も重要だ。同じだから対等なのではなく、違いがあっても対等なのだ。スムーズな一方的贈与を行うためには、まずは格差社会であることを認めること、社会の成員はさまざまな点で違うということを認めることが必要だ。認めたうえで、違うからこそ助けようとし、違うからこそ学び合おうとする。この点が、日本においては欠けているように思う」

 「贈与によって受け渡されているモノとはなんだろうか。例えば、経済的に困窮している人へ金銭を渡したとしよう。ここで受け渡されているのは、間違いなく小銭そのものである。これは、その日のご飯代になる。受け渡されたのが小銭だけであれば、一時的なので貧困状態の改善には効果がないという見方もあり、贈与をためらうことになるだろう」

 「しかし、贈与されているのは、その日のご飯代だけではない。受け渡されているのは、支援したいという気持ちである。小銭はその日に使い果たされてしまったとしても、支えてくれる人がいたという事実は残る。それは、支援を必要とする人への長期間の支えになりうる」

 「贈与の本質は、それに関わる人びとの居場所を確認する作業である。贈与の本質は『ひとりじゃない』ことを伝える営みにある。困窮する他者も、手を差し伸べる自分自身も、私たちは人とつながれるのだということを確認するのが贈与なのだ。それができるのであれば、個人から個人への贈与でも、そのあいだに支援団体などの組織を挟んでも、どちらでも構わない」

 「他者への贈与とそれによるつながりの主役は、特別に裕福な人や権力者ではなく、むしろ一般の人びとである。それも、私財のすべてを投げ打つのではなく、できる範囲で継続的に行うのがよい。そうして、たくさんの主役たちが支え合いの共通認識を周囲に広めて、つながりの主役をさらに増やしていくだろう」

【660円(本体600円+税)】
【オリエンス宗教研究所】

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