【書評】 『傘の神学Ⅰ 普遍啓示論 そこに立ち現れる神』 濱 和弘
「多神教は寛容だが唯一神教は排他的だ」
そう言われることがある。宗教的正しさの主張が対立や分裂、排除を生むからだろう。しかし、本書を読めばそのような印象は変わるかもしれない。正しいものとして語られてきた福音が被災地では何の意味もなさなかったという筆者の経験が、本書執筆のきっかけとなったからである。
「神も仏もあるものか」という現実の中で筆者の内に響いた「それでもある」は神の啓示の言葉である。イエス・キリストの出来事や聖書といった特別な介入による神の現れを特殊啓示と呼ぶが、本書が扱うのは普遍啓示である。普遍啓示とは「超越的存在が、事物事象を通して語りかける『わたしはある』という語りかけを直観すること」(158頁)だ。
この感覚を説明するのに西行の「なにごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」が引用される。人は「かたじけなさ」との出会いを経験し、そののち特別啓示によって神を知るのだという。この出会いはキリスト教という宗教を持たない人でも経験し得るものであり、この感覚を土台にすればキリスト教の枠を超えて人々と対話することができる。ゆえに筆者は、普遍啓示は宣教、宗教間対話に役立ち、さらには救済論的にも意味のあるものであるという。
エラスムス研究を専門とする筆者は、教会が典礼や神学によって神の臨在を経験してきた歴史を踏まえ、ヘッシェルや西田幾多郎をはじめとする宗教哲学者の思想を援用しながら普遍啓示の真髄に迫っていく。一見難解なテーマを扱っているようだが終始どこか温かい。それは本書が「神も仏もあるものか」と言わざるを得ないような現実を直視し、そのような人間の苦悩に寄り添い、それでも「神はある/いる」という確信に立ちながら「神はある/いる」ということと向き合っているからだろう。
現実は苦難に満ちている。そんな現実を〝ともに〟生き抜くために「わたしはある」という神の声の響く本書を勧めたい。
(評者・広瀬由佳=新生キリスト教会連合町田中央教会協力伝道師)
【1,980円(本体1,800円+税)】
【ヨベル】978-4911054178