【書評】 『古代イスラエル史 「ミニマリズム論争」の後で:最新の時代史』 B・U・シッパー 著/山我哲雄 訳

 古代オリエント世界に関わる諸研究で、ここ20年の間、イスラエル史学以上に大きな変化を経験した分野はないといわれる。以前は、旧約聖書に描かれたイスラエル民族の歴史を、基本的には実際の歴史の流れを反映しているものと考え、聖書外史料や考古学の所見などによって補正しながら学術的に記述していくのが主流であった。しかし1990年代になると、旧約聖書の歴史史料としての価値に研究者たちが疑義を呈するようになり、聖書の語る「イスラエル」と史実のイスラエルとは全く別物であるという主張がなされるようになった。

 これに対して従来のイスラエル史像を擁護しようとする研究者たちが反論し、両者の間で論争が巻き起こった。これを「ミニマリズム論争」という。争点は旧約聖書の史料的価値をどの程度認めるかというところにあったが、史料的価値を認めない者を「ミニマリスト(最小限主義者)」、認める者を「マクシマリスト(最大限主義者)」などと呼んで互いにレッテルをはり合った。この論争は激論を超えて人格攻撃や罵倒にまでヒートアップしたが、その後、論者が引退したこともあって学界の議論もやや落ち着きを見せ、「ミニマリズム論争」をふまえた上で、新たな古代イスラエル史の記述が模索されるようになった。本書の著者B・U・シッパーもそうした研究者の一人である。

 「(イスラエル民族は)初期青銅器時代に聖書が描くような(創一二1、申二六5~9)長い放浪の末にカナンに定着した遊牧民ではなかった、ということである。それらの住民たちはむしろ、相互に異なる諸集団がこの地で結合したものであって、そこには山地にいた半遊牧民たちや、平地からやって来た小農民たちも含まれていた。……

 したがって、イスラエルの諸端緒は、この地〔カナン〕自体の中にあると確言することができる。前一二〇〇年ごろに『イスラエル』と名乗っていた人間集団は、――古代オリエント世界を横断した遊牧民というような形で――外部から侵入して来たのではなく、後期青銅器時代の都市文化の中から生じてきたのである」(第一章 イスラエルの諸端緒と初期の歴史)

 出エジプトに関しては、著者は史料的限界があって再構成は難しいと述べながらも、メル・エン・プタハ碑文の記述などから、「イスラエル」に属する成員の一部が戦争捕虜としてエジプトに連行されたが、何らかの事情から再び自由を獲得して南レヴァント地方に戻ってきたことが物語の核となった可能性が示されている。

 ダビデやソロモンといった王が支配したイスラエル統一王国についても、発掘調査などにより新たな像が浮かび上がってきている。

 「イスラエルの歴史についての聖書の記述によれば、ダビデ・ソロモンの王国の時代に続いて、イスラエル北王国とユダ南王国への『王国分裂』が起こった(王上一二章)。しかし、歴史的に見れば、そのような『王国分裂』はなかった。ダビデとソロモンの支配は、北には及んでいなかったからである。むしろ、二つの領域単位が並存していたということから出発すべきであろう。……

 (聖書では)イスラエル(北王国)は一貫して否定的な見方で描かれ、オムリ王朝など簡潔に言及されるにすぎない。これに反し、ユダ(南王国)とエルサレムには偉大さと権力が帰されるが、そのようなものは、……歴史的に検証することはできない。聖書外諸史料が描き出すイメージは、むしろ聖書の記述とは正反対である。偉大で影響力があったのは、ユダではなくイスラエルの方なのである」(第二章 サマリア征服までのイスラエルとユダ)

 イスラエル民族のバビロニア捕囚からの帰還、神殿の再建についても、「聖書的なイスラエル」と「歴史的なイスラエル」には食い違いが見られる。

 「以前の旧約学研究では長い間、聖書の描くイメージに従い、歴代誌下三六章22~23節やエズラ記一章14節に描かれているように、神殿の再建許可と祭具の返還を命じた、ペルシア王キュロスの公的な勅令が出発点をなしたと考えられてきた。しかし、この『キュロスの勅令』について語る聖書のテキストは後代の産物であり、キュロス二世(在位前五五九~三〇年)のもとで神殿再建が始まったという学説を裏付けることはできない。歴史的に見れば、キュロスが彼の治世のまさに初めにエルサレム神殿に関わる諸措置を命じた、などということはおよそありそうにない。……

 ネヘミヤについての聖書の記述も、歴史的にはかなり用心して取り扱わねばならない。以前の研究では、ネヘミヤ記一~七章、一一~一三章の一部から、真正の『ネヘミヤ回想録』を再構成しようという試みがなされたが、最近の研究は、そのような試みに対して非常に懐疑的である。聖書の記述によれば、ネヘミヤはもともとスサの宮廷で王の献酌官として生活していたが、破壊されたエルサレムのことが大いに心にかかったので、特使としてエルサレムに派遣されることになったのであるという。このような事態そのものが、非歴史的であるという印象を与える」(第四章 バビロン捕囚とペルシア時代)

 考古学的調査や文献史料の研究が進んだおかげで当時の様子を詳しく知ることができた面には歓迎したい。だが、聖書の記述をそのまま受け入れてきた者にとっては衝撃的である。翻訳を担当した山我哲雄氏も、研究者として、新たに判明した歴史的事実の影響を少なからず受けている。氏が以前出版した『聖書時代史:旧約篇』(岩波現代文庫、2003年)は「旧約聖書の『あらすじ』のパラフレーズのよう」であったため、本来なら「ゼロから全面的に書き改めるできであろう」と本書の「訳者あとがき」で述べている。しかしながら、「本書が『ミニマリズム論争』を経て激変した古代イスラエル史学の現状を知る上で、コンパクトにして格好の書物として国際的な注目を集めている」ことから、訳出したのだという。

 「聖書的なイスラエル」と「歴史的なイスラエル」の乖離は神学にも影響しそうだ。たとえキリスト者が「聖書的なイスラエル」を語るのだとしても、「歴史的なイスラエル」について十分な知識を備えておくことが必要な場合があるだろう。まずは知ることから始め、歴史的事実によってイスラエル史を再構築したように、神学的アプローチによって新たな「聖書的なイスラエル」を再構築し、語り直したい。

【2,310円(本体2,100円+税)】
【教文館】978-4764267626

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