【書評】 『近代天皇制と伝統文化――その再構築と創造』 高木博志
前近代に起原を持ちながらも、近代において他国との関係の中で形成された「伝統文化」は、近代天皇制にとって不可欠なものであった――。本書では、先進国では少数となった君主制の中で近代天皇制が存続できたのは、この伝統文化が大きな要因であったことを論証し、天皇制における伝統文化が極めて現代的な政治課題であることを示していく。
「かくして明治四年一一月の大嘗祭は東京で行われる。……
大嘗会告論で『新帝更二斯国ヲ所知食(しろしめせ)シ天祖〔天照大神〕ノ封(ほう)ヲ受玉フ所以(ゆえん)』とされるが、これは、本居宣長にはじまる復古神道の神学が公的に採用されたことを意味する。天照大神以来の皇祖皇宗観念が成立するとともにすべての天皇は皇祖天照大神の御子となる、すなわち大嘗祭を通じて天皇は神になるという近代の大嘗祭解釈の登場である」(第Ⅰ部 第一章 伝統文化の再構築と創造)
近代天皇制の成立とともに、陵墓の整備も進められていく。これは「万世一系」の皇統神話を目に見える形で創り出すものであった。まず山城国などで天皇陵をはじめとする109か所が修陵され、白砂敷きの方形拝所、鳥居と一対の灯籠という、墳丘を聖域化した近代の景観が創出された。なかでも神武天皇陵は破格の経費をかけて完成されたが、実は近世の天皇の系譜意識は天智系の天皇たちで完結しており、それ以前に遡ることがなかったのだが、一気に神武天皇にまで遡って整備されたのである。それは、王政復古の大号令で「神武創業」が唱えられるようになり、神武天皇以来の古代の天皇たちが公的に認められる存在となったことが起因している。
第1部では主に天皇制に関して論じられているが、第2部では歴史意識、第3部では文化財が扱われている。文化財では、現地保存主義の事例として大阪府茨木市で発見されたキリシタン遺物が挙げられている。
1920年より大阪府の山間部で、中学校教師・天坊幸彦の教えを受けた小学校教師・藤波大超が、旧家や山中から「ザビエル画像」「マリア十五玄義図」「キリシタン墓碑」などのキリシタン遺物を発見した。京都帝国大学から浜田耕作が訪れて調査し、報告書が作成された。藤波や京都帝国大学側は研究資料として遺物を大学へと持ち去ろうとしたが、東京帝国大学で黒板勝美の影響を受けていた天坊が、現地に残そうと活動し、「キリシタン墓碑」が現地保存されることになった。現在、「ザビエル画像」は神戸市立博物館に、「マリア十五玄義図」は京都大学総合博物館に収蔵されている。
補論「近代天皇制と『史実と神話』」では、「日本遺産」に議論の矛先が向けられている。
「二〇一九年四月の文化財保護法の改正法施行にともない、『活用』という美名のもとに観光至上主義がはびこり 、学問や文化財の商品化が進んでいる。そこでは、歴史の真正性より、神話や物語が優先する。……
たとえば、二〇一五年度から始まった文化庁による日本遺産認定は、観光立国が前面に出たものであった。従来の文化財行政を、『保存』重視で『地域の魅力が十分に伝わらない』と批判し、『活用』を重視して『ストーリーの下に有形・無形の文化財をパッケージ化』し、『地域のブランド化・アイデンティティの再認識を促進』するものである(文化庁ホームページ)」
このようなコンセプトのもと認定第一号となったのは、近代化や富国強兵を無批判に賞賛する諸遺産であった。日本遺産は2023年度までに全国で104のストーリーが認定されているが、学術的に疑問符がつくストーリーが続々と各地方自治体から申請されている状態である。
著者が特に「ゆゆしき」状態であると表現するのは、世界文化遺産をめぐる昨今の動向。
「二〇一四~一五年に『富岡製糸場と絹産業遺産群』や八幡製鉄所などの『明治日本の産業革命遺産』が、世界遺産に登録された。その登録の経緯も、文化庁による下からの推薦ではなく、安倍晋三内閣の官邸主導によるトップダウンの決定であった。……明治維新以来、急激な産業革命や『富国強兵』を達成した日本の『近代化』をバラ色に描くのみではなく、劣悪な労働条件やアジアの植民地の問題なども含みこんだ複合的な評価が必要となるだろう」
さらに、2019年には百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産に登録されたが、構成遺産には「仁徳天皇陵古墳」など被葬者が仁徳天皇であると確定しているかのような印象を与える名称がある。この古墳には「大山(仙)古墳」という呼称があるにもかかわらず、「仁徳天皇陵古墳」が選択された。それは宮内庁の陵墓呼称を文化庁が追認してつけたからであるが、戦後歴史学・考古学の営みとその学術的蓄積をまったく無視した呼称だというほかない。江戸期や明治初期の記紀解釈に基づく「万世一系」の天皇系譜がそのまま踏襲されているのである。
「いわば『仁徳天皇陵古墳』呼称とは、記紀の『仁徳天皇』と歴史上の倭王の王墓が結合したものであり、『万世一系』神話を創り出す、古代と近現代に現れた天皇制の支配の物語であろう。しかし宮内庁の歴代皇位では、一六代仁徳天皇、一七代履中天皇とされているが、考古学が示す築造順位は、ミサンザイ古墳(現・履中陵)が古く、大山古墳(現・仁徳陵)が新しいという矛盾があるし、そもそも五世紀にはいまだ天皇号は成立していない。歴史学者や考古学者が自らの研究書や論文に使わない『仁徳天皇陵』呼称を、世界標準となる世界遺産の構成遺産名に決定して良いのか。一般市民の多くは、『仁徳天皇陵古墳』には『仁徳天皇』が埋葬されていると思うだろう。学校教科書の記述でも、現在の大山(仙)古墳・仁徳天皇陵の併記が、『仁徳天皇陵古墳』に一本化される危険がある」(以上、補論 近代天皇制と「史実と神話」)
実際に、大阪市立のある小学校では全校集会「新天皇御即位記念集会」がもたれ、唱歌「神武天皇」や「仁徳天皇」が披露されたが、これは戦前の話ではなく、2019年の事例である。
「あとがき」で著者は、「今日では、象徴天皇制を『民主主義』に即してよりよく運営する政治やそれに寄与する学問(歴史学においても)が、大きな潮流となっている」と現状を分析しながら、それでもなお、天皇制がもつ世襲の身分制としての本質と、それを荘厳化する、近代に再構築され創造された「万世一系」の「伝統文化」やイデオロギーを問い続けるべきであると述べる。
時流がナショナリズムに向かっているのは日本だけではないが、同時にグローバル化も進んでいるのが世界の状況である。ここで自国中心主義に逆戻りするのか、世界に開かれた認識観を持てるのか、歴史を問い続ける人文学の意義はきっとそこにある。
【3,410円(本体円3,100円+税)】
【岩波書店】978-4000616355