【書評】 『選択的夫婦別姓 これからの結婚のために考える、名前の問題』 寺原真希子、三浦徹也
経団連(日本経済団体連合会)は2024年6月、選択的夫婦別姓の早期実現を求める提言を発表し、婚姻時に夫婦いずれかの姓を選ばなければならない今の制度は「女性活躍を阻害する」と訴えた。これに対し岸田首相は「重く受け止める」と述べたものの、「国会における議論の動向を注視しながら、総合的に検討する必要がある」と、依然として慎重な姿勢を貫いている。この背景には何があるのか? 本書は夫婦別姓をめぐる国際的状況と国内情勢、ジェンダーギャップについて、法律の観点からまとめたブックレット。著者である2人の弁護士は、婚姻制度の仕組みと最高裁判決を丁寧に解説する。
「現在の婚姻制度では、あるカップルが婚姻したいと考えたとしても、民法750条の定めにより、夫の氏を称するか、妻の氏を称するかを選択する必要があり、夫か妻かいずれか一方が氏を変更しなければ婚姻することができません。
では誰もが婚姻に際して氏を変えることに抵抗がないかと言われると、そんなことはありません。自分は何者であるかという自己認識(アイデンティティ)は、氏名と深く結びついています。……
(また)多くの人が社会に出て何年も働いてから婚姻しています。そのため、氏名には、それまで築いてきた仕事や社会での活動の成果、社会からの認識・評価とも密接に紐づいていることが多いのです」
婚姻前の旧姓を通称として使用できるケースもあるが、銀行口座やクレジットカードは婚姻前の氏を使用することができないなど、さまざまな困難や限界がある。そのため、そうした困難・限界にぶつかるたびに婚姻前の氏が「本当の氏ではない」ことを思い知らせることになる。しかも、厚生労働省の統計によると、婚姻の際に夫の氏を選択するカップルは94.7%と、氏を変更する負担は圧倒的に女性側に偏っている。こうした問題を回避するため、法律婚ではなく事実婚を選ぶカップルも増えているが、そこには法律上の不利益が伴う。例えば事実婚の配偶者は法定相続人にならない。したがって相続権が認められないので、遺書を作成しなければ相手の遺産を相続できない。子どもの親権者には夫婦の一方しかなることができないなどである。
このような問題を解消するために求められているのが、「選択的」夫婦別姓制度だ。婚姻に際して、夫の氏か妻の氏を選ばなければならないという二者択一を取り払い、氏を同じにしたいと考えるならば同じ氏を、氏をそのまま維持して婚姻したいと考えるならばそれを選ぶことができるという制度だ。あくまで「選択的」なので、この制度を導入したとしても誰も不利益を被ることはない。現在、多くの政党が選択的夫婦別姓制度の実現を政策として掲げている。しかし、日本で強固な長期政権を維持する自民党はこれに反対する立場をとってきた。選択的夫婦別姓制度導入に反対する声としては「日本の伝統を破壊する」「家族の和を乱す」「子どもがかわいそう」「戸籍制度が崩壊する」などがある。保守層を支持基盤とする自民党の政治家たちが、「十分に議論が尽くされていない」「国民の間にも様々な意見があるから、しっかり議論をしてより幅広い国民の理解を得る必要がある」といった抽象的な答弁を繰り返す背景にはこうした事情が関係している。
だが、夫婦同姓が法律で定められているのは日本だけだ。「結婚した夫婦が夫の姓を名乗るのが普通」などという日本の「当たり前」は、海外では通用しない。わずか100年ほどの歴史しか持たない夫婦同姓が、「日本の伝統」だというのも事実誤認である。1955年の法制審議会で「夫婦別姓を認めるべきか」という課題が示され、女性の社会進出が進んだ1996年には法制審議会が婚姻・離婚法制の見直し審議を始め、選択的夫婦別姓制度の導入を含む改正要綱を法務大臣に提出している。半世紀以上も議論が重ねられてきた。さらに、選択的夫婦別姓制度を求める国民の声も高まっており、2017年の世論調査では導入に賛成が42.5%、民間の調査では70.6%という結果が出ている。つまり、世論と政権との間には大きな乖離が生じているのである。
世界経済フォーラムが発表した2023年のジェンダーギャップ指数で、日本の総合順位は146か国中125位、特に政治参画については138位と世界最低ランクであることが明らかになった。「もし婚姻する際には女性が氏を変えるものだといって氏の変更の負担を女性に押し付け、氏を変更する気がない、氏の変更の負担を平等に受け入れるという意識がない男性ばかりが政治の主導権を握っているような状況なのだとしたら、いつまでたっても選択的夫婦別姓制度は実現しないでしょう」(第一章 なぜ選択的夫婦別姓制度が求められているのか)
法律を改正する権限を持つ国会が自ら改正に動くことが期待できない状態の中、現行の夫婦同姓制度は憲法に違反するのではないかと、複数の当事者と選択的夫婦別姓訴訟を起こした弁護士たちがいる。本書第二章を執筆するのは、その弁護団の団長を務める寺原氏だ。
「原告・弁護団は、裁判所に対して、『夫婦同姓制度は、結婚するために夫婦の片方が従前の姓を名乗り続けることを諦めるか、双方が従前の姓を名乗り続けるために結婚を諦めるかという、結婚と姓の二者択一を迫るもので、そのことに合理性はなく、憲法に違反する』と主張しました。すべての夫婦が別姓であるべきという主張ではなく、夫婦となろうとするカップルのすべてが同姓となることを受け入れなければ結婚できないことが問題であり、夫婦が同じ姓を名乗るか(夫婦同姓)、双方が従前の姓を名乗り続けるか(夫婦別姓)を選べるようにしてほしいという主張です」(第二章 選択的夫婦別姓訴訟)
2015年、最高裁は民法750条の規定は憲法に反するものではないと判断したが、15人のうち5人の裁判官は、夫婦同姓に例外を認めない民法750条の規定は、個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き、憲法に反するとの反対意見を述べた。ちなみに3人の女性裁判官は全員、憲法違反と判断したので、最高裁に女性裁判官がもっと多ければ、判決が変わっていたかもしれない。ここにも日本のジェンダーギャップ是正の遅れが垣間見える。
結婚や家族に関する法制度は、国が国民を管理するためではなく、一人ひとりの幸福のためにある。国が「こうあるべき」と定めた形に従わなければ、必要な法的保護も受けられないという制度には問題があると言わざるを得ない。政府は出生率低下を防ごうと結婚の支援策を検討しているが、若者が結婚を回避する原因の一つが「改姓」だ。「選択」制であるのだから、「家族の和を乱す」と考える夫婦は同姓を選べばいい。家族の形を強制する法制度ではなく、一人ひとりが幸せになる形を選択できる法制度の整備がいま早急に求められている。
【748円(本体680円+税)】
【岩波書店】978-4002710938