【書評】 『中央ユーラシア文化事典』 小松久男 編者代表

 隣接する東アジアや南アジア、そして西アジアを通じて東ヨーロッパ地域とも交流しながら、自らの歴史と文化を育むと同時に、周辺地域に深い影響を与え続けてきた中央ユーラシア。モンゴル高原から黒海に及ぶこの広大な地域を、地理、歴史、民族、文化、宗教等の面から解説する事典が刊行された。小松久男氏を編集代表に、数十名の研究者・専門家が各項目を執筆。中央ユーラシアで展開した歴史のダイナミズムと多彩な文化をあますことなく伝える。

 「モンゴル帝国の拡大は、ヨーロッパ・キリスト教世界にも大きなインパクトを与えた。……ローマ教皇に選ばれたインノケンティウス4世は、〔12〕45年にフランスのリヨンで公会議を開く。地獄を意味するタルタルの名で呼ばれたモンゴルへの対策も議題とされ、使節の派遣が了承された。

カルピニのモンゴル行 フランチェスコ修道会のプラノ・デ・カルピニがその任に選ばれ、同年4月にリヨンを発つ。……

 ヴァティカン使徒文書館には、このときグユクに奉呈された2通の教皇による書簡の写しと、ペルシア語によるグユクの返書が伝存している。それらによると、教皇側はモンゴル帝国の皇帝に対してキリスト教の教えを説いて洗礼を受けることを勧め、ハンガリーをはじめとするキリスト教徒の地を略奪したことを詰問した。それに対してグユクは、カルピニについては教皇やヨーロッパの国王たちが服属を請願するために送った使者だと判断し、改宗については一蹴、全世界はモンゴルのものであることを宣言して教皇らがみずから伺候するよう命令し、その命に背いたときは反逆者と見なすという文言で書簡を締める。ペルシア語の返書は1920年に偶然に発見されたのだが、おそらくその内容がもたらした衝撃があまりに大きかったため、長く秘匿されていたとも考えられる」(中村淳「カルピニとルブルク」)

 「ソグド商人 紀元1千年紀にシルクロード交易で活躍したソグド人の商人。ソグド人は、かつてソグディアナと呼ばれたザラフシャン川流域のオアシス都市に住んだイラン系の人々で、ソグド語・ソグド文字を使用した。彼らはシルクロード交易を独占する一方で、北朝隋唐期の中華王朝や柔然・突厥・ウイグルの遊牧国家で国家使節・政治顧問・武人としても活躍した。また、文化的にも多彩な商品とともに宗教・楽舞なども伝え、特に唐では西域の風俗が大流行した。さまざまな分野で多大な影響力をもったソグド人であったが、その後はユーラシアの諸民族中に埋没し、消えていった」(福島恵「ソグド商人」)

 中央ユーラシアはいくつもの宗教が往来し、周辺地域へと伝播する役割を果たした地域でもある。キリスト教もその一つだ。

 「中央アジアへの伝播 ササン朝ペルシアの支配下でメソポタミア地域を拠点とした東シリア教会(旧称「ネストリウス派教会」)はシリア語を主要な言語とする独自の教会として発展し、さらに東方の地域で宣教活動を展開した。424年にすでにメルヴとヘラートに司教がいたことが知られる。その後サマルカンドにも司教座が置かれ、635年にはキリスト教の使節が中央アジアを経て唐の都長安に到達した。651年にササン朝最後の王ヤズデゲルド3世がメルヴで没したとき、葬儀を執り行ったのは国教ゾロアスター教の祭司ではなく当地のキリスト教司教エリヤと配下の信徒たちであったとアラブの史家タバリーは伝えており、一帯でのキリスト教の広まりがうかがわれる」(浜田華練「キリスト教」)

 「クリャシェン クリャシェンとは、しばしば『受洗タタール』と呼ばれ、ムスリムが多数を占めるタタール人の中でロシア正教を受け入れたグループとされている。『クリャシェン』という名称自体、ロシア語の『受洗した(kreshchenyi)』に由来するとされている。その母語はタタール語とされているが、ムスリムの人々が用いる言葉と比べてよりアラビア語やペルシア語の影響が薄いとも指摘されている、彼らの多くはロシア中西部、ヴォルガ中流域のタタールスタン共和国とその周辺に住んでいる。その人数は、2010年の国勢調査の結果によればロシア全体で約3万5,000人とされているが、実際は20万~30万人いるという主張もある」(櫻間瑛「クリャシェン」)

 終章である16章は「中央ユーラシアと日本」。騎馬民族征服説や義経伝説、正倉院宝物、東洋文庫など興味深い項目が並ぶ。付録は「中央ユーラシアの主な世界文化遺産」。中央ユーラシアに点在する豊かな文化資源に注目が集まっていることがうかがえる。

 「中央ユーラシア」と聞いて浮かぶイメージは、シルクロードやモンゴルの草原、砂漠とオアシスといったものだが、古代から文明が衝突・交錯したこの広い地域では、当然ながらそうした想像以上に豊かな文化が培われてきた。それは過去だけでなく現代まで続くものであり、影響は日本にも波及している。中央ユーラシアは東西の架け橋となるだけでなく、東西双方との交流によって独自の複合的文化を生み出した。日本文化のルーツの一つとしても視野に捉えたい地域である。

【24,200円(本体22,000円+税)】
【丸善出版】978-4621308066

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