【書評】 『聖書の解剖図鑑 神さまと私たちの物語』 山野貴彦

 美しく的確なイラストと専門家による解説で定評のある「解剖図鑑」シリーズに「聖書の解剖図鑑」が加わった。著者は聖公会神学院などで教鞭をとる山野貴彦氏。専門は新約聖書学および聖書考古学で、本書で引用される聖句は同氏による私訳である。スタンダードな聖書認識に立ちつつ聖書全体をまんべんなく解説。「もっと詳しく知りたい」ニーズにも応えるだけでなく、現代の視点から読み解く工夫もなされている。

人類創造:聖書の言葉を読む

 アダムからエヴァ(この時点では名前はまだない)が造られたという記述および楽園追放の物語から男性優位社会の根拠が見出されていた時代もありましたが、人類創造の段階において両者の上下優劣関係は問題になっていません。単に生物学的性差(セックス)の異なる人が造られたということであって、社会的性差(ジェンダー)は設定されていないのです」

楽園追放:禁断の実はリンゴなのか?

 エデンの園物語に登場する善悪の知識の木の実は、芸術作品においてしばしばリンゴとして描かれています。これは聖書がラテン語に訳された際に、『悪』を意味する単語と『リンゴ』を意味する単語がどちらもmalus(ただし、前者『マルス』と発音し、後者は『マールス』と発音します)ということからリンゴが禁断の木の実と解釈されるようになりました。ちなみにミケランジェロの絵画やイスラム文化圏では『イチジク』説が採用されています(その他『オリーブ』説もあります)」

 「先行研究」と呼ばれる、これまで研究者たちが蓄積してきた学術的な議論や成果もまた、平易な言葉でコラム紹介されているのも本書の特長だ。

美しき黙示預言者ダニエル:ダニエルが見た幻視とは

 ダニエル書に現れる4匹の獣(獅子―熊―豹―鉄の歯と10本の角を持つ獣)は世界帝国を象徴していると理解され、しばしば新バビロニア-メディア/ペルシャ-ギリシャ-ローマであると説明されていますが、この文書時代背景的にローマは該当しません。たしかにダニエルの時代にも共和政ローマは強力になりつつありましたが絶対的力を誇るローマ帝国時代の到来はまだ先のことです。

 学問的に考えると、第7章および第10-12章(セレウコス朝シリアのアンティオコス4世による迫害を暗示する幻視物語)の分析から、4つの獣は新バビロニア-メディア-ペルシャ-ギリシャを表していると考えられている」

コラム イエスの系図

 新約聖蓄ではマタイによる福音書とルカによる福音書において『イエス・キリストの系図』が記載されています。……

 ルカによる福音書はイエスの系譜が神に遡ることを示そうとするなど、それぞれ伝承の起源や記載意図が異なっています。マタイによる福音書の系図においては、古代イスラエルの家系では通常記されることのない女性が、四人(タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻バト・シェバ)も見られることも特徴的になっています」

 日本を意識したとみられる解説もある。巷間に流布されている聖書にまつわる奇説を修正することも、一般向け解説書には必要だろう。ここではイエスと聖徳太子とを安易に結び付ける俗説を退けている。

イエスは厩の御子?

 イエスの誕生が厩であったというのは非常に広く知られた伝統的なイメージですが、イエス誕生物語の中では実は『厩』という単語は見られません。幼子イエスの象徴である『飼い葉桶』という語は出てきますが、これは必ずしも家畜小屋を意味しているわけではありません。古代の一般的な家屋や宿泊場所では、地階が日々の仕事や家事を行う場であり、家畜たちもそのそばにいる状況でありました。上階がある建物の場合は、寝室などがそちらに置かれました。

 厩戸皇子(うまやどのおうじ)=聖徳太子は、宮中の馬小屋のあたりで産まれたためその名がつけられたという」

 最新の考古学的知見をふまえつつ、同時に、原語に遡って意味を捉え直すことを通して、聖書世界の知識をリニューアル。また、著者自身の考えも随所で述べられ、さりげなく心に届く。

少年時代 学者と議論するイエス:ヨセフの稼業

 一般的に、イエスとイエスの父ヨセフの稼業は『大工』であったと理解されています。ただし、『大工』と訳されているギリシャ語の原語『テクトーン』は基本的に木材を扱う職人を意味します。西アジアの家屋では、壁や基礎の素材としては石やレンガが用いられることが多く、テクトーンは木材を用いておもに家具や屋根、屋根の梁などを製造していました」

山上の垂訓:『幸い、霊にあって貧しき者』

 イエスの大説教の中の始まりとして記録されているこの言葉は、貧困を称賛しているのではなく、貧しさの中で苦しむ者こそが幸いでなければならないという叫びになっています(原文のギリシャ語では名詞と形容詞のみでbe動詞が省略されているのですが、それを鑑みてもここは叫びとして理解できます)。

 マタイによる福音書では『霊にあって』という言葉が付いている。しばしば見られる『心の』等の訳はかなりの意訳であり、原語は『霊にあって』である。『霊』という、神から人間に吹き込まれている力のもとになることで貧しい状態が後には幸いに変わる、変わらなければならない、そのような主張になっている」

マグダラのマリアとの出会い:マグダラのマリアの諸伝説

 マグダラのマリアが芸術作品で『罪の女』として描かれることがあるのは、ルカによる福音書7章36-50節で『罪深い女』が登場し、直後の8章2節で7つの悪霊に憑かれたこのマリアが登場することから、この2人が同一人物であると理解されたためです。

 その他にも、福音書における特別な存在感ゆえに古代から中世にかけてイエスと結婚していたなど、様々なマリア伝説が語られました。しかしながら、これらの諸伝説は現在、学問的には創作であると判断されています」

 聖書の入門書は数あるが、知識と信仰的な語りとのさじ加減が難しい。聖書やキリスト教について知りたいという一般のニーズは高いが、それに応えようとして知識に偏れば、聖書本来の「ことば」(メッセージ)としての魅力が失われてしまう。かといって、説教のような護教的な「語り」は敬遠されがちだ。多様性に開かれた、現代のコンプライアンスにも合致したメッセージが求められている。本書では、読者のそうした潜在的なニーズを敏感に察知し、バランスよく満たしている。

【1,800円(本体1.980円+税)】
【エクスナレッジ】978-4767832913

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