【書評】 『創られたキリシタン像(イメージ) 排耶書・実録・虚構系資料』(西南学院大学博物館研究叢書) 鬼束芽依 編
1549年、ザビエルによってキリスト教は伝えられ、その信者は「キリシタン」と呼ばれた。その後、キリスト教は禁じられ、邪教とされたが、なぜ排除の対象となったのかを説明すべくさまざまな言説が生まれるようになる。実態とはかけ離れたキリシタン像(イメージ)の嚆矢である。江戸期には、バテレン(宣教師)に関する陰謀論めいた話が語られる一方で、庶民の間ではマジカルなイメージも醸成された。開国後は、再び仏教側から邪教として指弾されたが、茨木でのザビエル図像の発見を機に南蛮ブームが起こり、虚構のキリシタン遺物が登場するに至る。
こうした「キリシタン」をめぐる像(イメージ)の変遷を、豊富に資料を示して解説する企画展が西南学院大学博物館で行われている。本書はその内容を収めた図録であり、キリシタンイメージの形成とその所産を表すものとして、「排耶書」「キリシタン実録」「虚構系資料」という三つのタイプの資料群を示しながら、近世から現代までの変化をたどる。
「排耶書」の代表として挙げられるのは鈴木正三(しょうさん)による『破吉利支丹』。この書では「夫(それ)日本は神国也。神国に生を得て。神明を崇め奉らざんは。非儀の至りなり」と、論理的にキリスト教を排斥する理由を述べた。しかし、やがて大衆にもわかりやすく面白い通俗的な排耶書が求められるようになる。『吉利支丹物語』などではバテレンの風貌が人間離れした姿で描かれるなどした。
「実録」とは近世に発生した小説の一種で、実際に起こった事件を元にフィクションを加えて読み物としたものである。お家騒動を題材としたものや軍記物、怪談など多岐にわたるが、その中で「キリシタン渡来」に関するものを「キリシタン実録」と総称する。
「キリシタン実録とその内容
〔キリシタン実録は〕書名が異なっても、物語の流れは共通している。南蛮国大王は日本への侵略をもくろみ、人心をつかむためにバテレン(宣教師)を日本に送り込む。バテレン達は織田信長の許可を得て、南蛮寺(教会)を建立し布教に励み、3名の日本人イルマン(修道士)を誕生させる。信長の死後、豊臣秀吉はキリシタンを邪教と判断し、都からバテレンを追放する。その後、徳川の時代のキリシタン取り締まりの話が続き、最後に島原・天草一揆の話で終わる」(Ⅱ キリシタン実録――キリシタンイメージの定着)
幕末から明治にかけては、それまでとは違う背景をもった排耶運動が展開された。典型的な資料は『南蛮寺興廃記』である。
「江戸時代末から明治時代初頭にかけて、幕藩体制の崩壊とともに、儒者や国学者らによる排仏思想、またキリスト教や西洋科学の流入、そして新政府による廃仏毀釈などが起こった。当時存在した寺院のほぼ半分が廃寺になり、仏教界は危機的状況を迎えた。このような状況の中、仏教界はとりわけキリスト教の排斥を目的とした排耶書を積極的に著すことで、教団体制を護持しようとした。仏僧たちは『破邪顕正(邪説を打ち破り正しい道理をあらわすこと)』を目標に掲げ、排耶論を次々と発表した」
1919年、大阪府茨木市千提寺の東家から「聖フランシスコ・ザビエル像」をはじめとする数多くのキリシタン遺物が発見された。これらの遺物は京都帝国大学の研究者によって学術的に調査され、新聞などでくり返し報道されたことで多方面からの注目を集めることとなった。さらに東京帝国大学の村上直次郎や姉崎正治らがキリシタン研究に着手し、文学界でもキリシタンを題材とした作品が世に送り出された。そうして、キリシタン(南蛮)ブームともいえる時代が始まった。
「この頃から、日本各地でキリシタン遺物が『発見』されるようになった。これらの中には、かくれキリシタンの信仰とは関係がなく、誤認されたものや、国内外での売買のためや個人の趣味でつくられたものが含まれる。本書では、これらを中園成生『かくれキリシタンの起源』(2018年)に倣い、『虚構系資料(虚構のかくれキリシタン資料)』と呼ぶことにしたい。
虚構系資料の種類は多岐にわたる。キリシタン遺物であると誤認されたものの代表的なものとして、石造物(織部灯籠、墓碑、石像など)、かくれキリシタンが所持していた仏像・神像がある。またつくられたものとしては、仏像・観音像や大黒天像など従来の神仏に十字架を施したもの、十字文様が施された陶磁器や南蛮鐔、踏絵・紙踏絵、魔鏡などが挙げられる。虚構系資料は来歴不明にも拘わらず、かくれキリシタンの信仰と結び付けられ、文化財指定をされたほか、各地のミュージアムに収蔵・展示される状況が生じた」
本図録では、虚構系資料として、仏像付き十字架、在来の神仏像に十字を刻んだもの、偽物のマリア観音、魔鏡、懸仏(かけぼとけ)、偽造品の板踏絵、紙踏絵などが掲載されている。
「紙踏絵
紙踏絵とされる、明治時代頃の作品である。本作品は、『禁教期に福岡藩で制作されていた』ものとして扱われ、販売されている。しかし、福岡藩で正式に踏絵をおこなったという記録は現在のところ確認されていない。また、3点すべてに福岡藩主黒田家の管理や制作を印象づけるように、『藤巴紋』があしらわれている。仮にこの図像を踏めば黒田家の家紋をも踏むことになる。さらに〔資料〕32には、祇園宮の神紋や、鍋島花杏葉紋に加え、宗門改めの写しのような墨書がある。宗門改めの記録は各地の寺社奉行所に提出されたという性質を考えると、踏絵と同じ料紙に写す必要性がない。このように、踏絵に関する史実を確認していけば、本作品が辻褄の合わない偽物であることが理解できる。(鬼束)」(以上、Ⅲ 虚構系資料――「発見」されたキリシタン遺物たち)
巻末には「論考」として、三輪地塩「キリシタン研究の発展とキリシタン資料・遺物の『発見』史」、伊藤慎二「筑前山家宿の『キリシタン伝説』と吉原勝」、馬場紀聡「南島原市深江町のいわゆる『かくれキリシタン』墓標についての検討」、鬼束芽依「西南学院大学博物館蔵『魔鏡』は『かくれキリシタン資料』といえるのか?」が収められている。
これまで、キリシタン史に関する書籍は多く出版されてきたが、キリシタンイメージの変転を資料から読み解いた書籍はほとんどなかった。オールカラーの図録により「創られたキリシタン像」がどのようなものなのか、視覚的に把握できるが、それだけに留まらない。解説と各章ごとにはさまれたコラム、論考があることで、邪教観や排耶論、虚構の「キリシタン遺物」について深く精度の高い知識を得ることができるよう工夫されている。
歴史学ぶワークショップも人気 西南学院大学博物館が評価される理由 8月には企画展「創られたキリシタン像(イメージ)」 2024年7月8日
【1,100円(本体1,000円+税】
【西南学院大学博物館】978-4910038964