【書評】 『黙示録の希望 終末を生きる』 岡山英雄

 いつの時代においても終末論、とりわけヨハネの黙示録への関心度は高い。そこには不安定化する社会における道標が描かれているといった期待感があるのかもしれない。しかし時としてその書物は、「終わりの日のカレンダー」や「破滅の一覧表」といったように偏った読み方をされてきたことも否めない。

 本書で著者は「黙示録は希望の書である。困難の中で先が見えない不安に苦しむとき、輝かしい最終的な勝利の幻を示し、地上の戦いを屈することなく戦い抜くようにと励ます希望の書である」と明言する。

 日本、アメリカ、イギリスで40年以上にわたりヨハネの黙示録を研究してきた著者。これまでに執筆された『小羊の王国』では組織神学(終末論)、『ヨハネの黙示録注解 恵みがすべてに』では聖書神学を中心に黙示録について論じてきたが、今回はそれらを統括する形でかつ最新の社会情勢もふまえ、未信者が手に取っても黙示録の骨組みが理解できるような構成となっている。

 強調されているのは「終わりから今を見る」視座。ヨハネの黙示録の構成は、「最初の幻で歴史のゴールを示し、それに続いてそこに至るプロセスを示す」という「終末的視点」が展開されていると指摘。「究極の未来から振り返ってみるように現在を見る」視座は終わりを強烈に意識するのではなく、終わりを見据えながら現実を直視する生き方へと読者を促す。

 「復活」「千年王国」「患難期」といった解釈や意見が分かれがちなテーマについても、最新の知見をもと詳細に論じる。例えば「復活」について、新約聖書では42回登場するがうち38回は「肉体の復活」を意味しており、「第一の復活」(黙示録20章5、6節)において霊的復活や回心といった読み方は成立しないと述べる。他にも携挙について、教父時代からの解釈史をたどるとともにディスペンセーション主義がアメリカの学術界で見直される端緒となった1950年代のジョージ・E・ラッド氏(フラー神学校)とジョン・F・ワルブード氏(ダラス神学校)の論争にも言及。多様な立場を比較することで読者の現在地への気づきを促すとともに、詳細な聖書釈義に基づいた黙示録と終末論の世界を提示する。

 本書を執筆する契機となったのは「終末論のゆらぎ」を著者自身が感じたことが大きいという。特に近年話題のN・T・ライト氏の終末論では「再臨はない、新天新地もない、死後に天国へは行かない」ことが強調されているとし、懸念を示す。博士論文の担当教員でもあったリチャード・ボウカム氏に連絡すると、「ライトの終末論の全体を批判した書籍は世界でも確認されていない」と言われ、またボウカム氏もライト氏の解釈終末預言70年完全成就説には「間違いだ」と断言していると「あとがき」で述べられている。実際、著者はライト氏の「開始された終末論」に基づいた立場への釈義的批評を試みる。

 ヨハネの黙示録を通して「闇が世界を覆っているかのように見える中でも、真理と正義の光は輝いている」ことを知り、「最後まで希望を持って戦い抜くことができる」信仰が培われることを目的として書かれた必携の1冊。

【2,420円(本体2,200円+税)】
【いのちのことば社】978-4264045090

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